石上神宮
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石上神宮(いそのかみじんぐう)は奈良県天理市布留町にある神社。旧社格は官幣大社(現在は神社本庁の別表神社)。中世には二十二社の中七社のひとつとされた。
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[編集] 概要
古代の山辺郡石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座する。非常に歴史の古い神社で『古事記』・『日本書紀』にすでに、石上神宮・石上振神宮との記述がある。社伝によると創祀は崇神天皇7年という。延喜式神名帳には「石上坐布都御魂神社」と記され、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の官祭に預かった。古代軍事氏族である物部氏が祭祀し、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている。現在の祭神は布都御魂神、布留御魂神、布都斯魂神となっており、布都御魂剣を神体としている。配祀神として宇摩志麻治命、五十瓊敷命(いにしきのみこと)、白河天皇、市川臣を祀る。
神階は850年(嘉祥3年)に正三位、859年(貞観元年)に従一位、868年(貞観9年)に正一位。
中世以降は布留郷の鎮守となったが、興福寺とたびたび抗争を繰り返し布留郷一揆が頻発、戦国時代に入ってからは織田信長の勢力に負け、神領も没収された。しかし、氏子たちの信仰は衰えず、1871年(明治4年)には官幣大社に、1883年(明治16年)には神宮号を再び名乗ることが許された。
この神社には本来、本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」などと称して祀り、またそこには2つの神宝が埋葬されていると伝えられていた。1874年の発掘を期に、出土した剣や曲玉などの神宝を奉斎するため本殿を建造。1913年には、本殿が完成した。禁足地は今もなお、布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれている。
[編集] 主な年中行事
- 月次祭(毎月1日・15日)
[編集] 摂・末社
- 摂社 出雲建雄神社
- 社格:式内社
- 祭神:出雲建雄神
- 摂社 天神社
- 摂社 七座社
- 末社 猿田彦神社
- 末社 神田神社
- 末社 祓戸神社
- 境外末社 恵比須神社
[編集] 文化財
- 国宝
- 重要文化財
- 楼門-文保2年(1318年)建立
- 鉄盾二枚-古墳時代。出土品でなく伝世品。
- 色々威腹巻(いろいろおどしはらまき)-「腹巻」は甲冑の一種。
- 禁足地出土品(勾玉・菅玉・環頭大刀柄頭 等)その他
- その他
- 朱札紅糸素懸威鉄腹巻(しゅざね くれないいとすかけおどし かなはらまき)
- 黒塗練革星兜鉢(くろぬりねりかわ ほしかぶとばち)
- 十六間筋兜鉢
- 古備前義憲作太刀 小狐丸
[編集] 参考文献
- 『日本「神社」総覧最新版』1996年刊 新人物往来社
- 『石上神宮』1999年刊 石上神宮社務所