畠山義隆(はたけやまよしたか、弘治2年(1556年) - 天正4年2月4日(1576年3月4日))は能登の戦国大名畠山氏の当主。畠山義綱の次男で、畠山義慶の弟。
兄が当主となると、姓を二本松と改めてこれを補佐したという。兄の死後、家督を継いだが1576年に突如として急死した。これにも兄同様、重臣による暗殺説が疑われている。義隆の死後は子の畠山春王丸が跡を継いだ。
カテゴリ: 畠山氏 | 戦国大名 | 1556年生 | 1576年没