田口周
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田口 周(たぐち いたる、 1932年12月18日 - 2006年7月19日)は、日本のプロ野球監督。
[編集] 来歴・人物
東京都出身。
日本大学第三高等学校、日本大学卒業。共に野球部に所属し、一塁手、投手として活躍。右投右打。
1960年、母校の日本大学第三高等学校野球部監督に就任。1962年の選抜高等学校野球大会では準優勝に導く。
日刊スポーツ野球記者に復帰後、1968年2月、プロ経験はないものの高校での監督経験を買われ、サンケイアトムズ(後のヤクルトスワローズ)2軍監督に就任。1975年まで務める。背番号は、1968年~1970年が55、1971年が69、1972年~1975年が64。
1976年、フロント入り。総務部長、スカウト部長を経て、1985年から球団代表、1997年3月から球団社長を務める。2001年に退任後も球団相談役、スワローズの初代OB会長として球団をバックアップしていた。
2006年7月19日午後4時6分、東京都の病院で心不全のため死去。73歳。