生駒一正
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生駒 一正(いこま かずまさ、1555年(弘治元年) - 1610年5月11日(慶長15年3月18日))は、戦国時代の武将・江戸時代初期の大名。生駒親正の子。
はじめ織田信長に仕え、紀伊雑賀攻めなどで活躍した。信長死後は羽柴秀吉に仕えて数々の合戦に参加する。朝鮮出兵にも参加し、蔚山城の戦いなどで活躍した。
1600年の関ヶ原の戦いでは、父の親正は西軍に、自身は東軍に与して関ヶ原本戦で武功を挙げたため、戦後、父から家督を譲られ、その所領である讃岐国丸亀藩(のち高松藩)十八万石も安堵された。後に居城を丸亀城から高松城に移した。死後は子の正俊が襲封した。