玄界灘海難事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
玄界灘海難事故(げんかいなだかいなんじこ)とは、2003年(平成15年)7月2日と7月6日、福岡県沖の玄界灘において、日本の漁船および水産庁の漁業取締船に大韓民国の貨物船が相次いで衝突した海難事故である。
目次 |
[編集] 「第18光洋丸」と「フン・ア・ジュピター」の衝突事故
[編集] 概要
福岡県沖の玄界灘でパナマ船籍、韓国興亜海運社所有の貨物船「フン・ア・ジュピター」(3372トン・16人乗り組み)が巻き網漁船「第18光洋丸」(135トン・21人乗り組み)と衝突した。「第18光洋丸」の乗組員17名が海に投げ出されたため、直後から日本の漁船の船団は救出活動を開始した。しかし、死者1名、行方不明者6名、負傷者2名という民間船同士の衝突事故としては稀な惨事となった。
[編集] 経緯
- 1時54分 - 第18光洋丸は、沖ノ島灯台沖で、灯火などを点灯して投網を開始。
- 1時58分 - 第18光洋丸が7.1海里先にフン・ア・ジュピターのレーダー映像を確認。動静監視を行う。また、フン・ア・ジュピターも第18光洋丸などの船団を視認。
- 2時12分 - フン・ア・ジュピターが第18光洋丸から3.5海里の距離に接近する。第18光洋丸は他の漁船と網を張り揚網中で、移動することができなかったため、運搬船をフン・ア・ジュピター号に向かわせて注意を喚起するとともに、網の大きさを示すために他の漁船に網の反対側に寄るように指示。さらに、船橋前部の作業灯を点滅させる。しかしフン・ア・ジュピターは十分な動静監視をしておらず、衝突の危険性に気づかなかった。
- 2時21分 - フン・ア・ジュピターが第18光洋丸から1海里の距離に接近したので、第18光洋丸は網の位置を示すため他の漁船を網の北西側に沿って走らせ、サーチライトをフン・ア・ジュピターに向けて照射し、汽笛を連吹する。
- 2時23分 - 第18光洋丸が船上の照明を全て点灯。フン・ア・ジュピターが第18光洋丸に接近しすぎたことに気づき、右転。
- 2時25分 - 第18光洋丸の左舷中央にフン・ア・ジュピターの船首が衝突。17名が海に投げ出される。
[編集] 「フン・ア・ジュピター」の不可解な行動
「第18光洋丸」は他の複数の漁船間で網を張っていたため、回避不可能の状態だった(回避運動をしようとすれば、網が絡まり、他船との衝突の危険性も高かった)。そのため、韓国の貨物船「フン・ア・ジュピター」へ、繰り返し漁灯や警笛で合図を送っており、回避義務は法的にも韓国船側にあった。だが、「フン・ア・ジュピター」はトロール船だと思い(しかし海上衝突予防法18条により航行中の船舶には漁ろうに従事している船舶を避ける義務がある)、速度を落とさずにそのまま直進し、第18光洋丸に衝突した。また、「フン・ア・ジュピター」は衝突後も航行に問題はなく、また自船にはけが人が1人にもいなかったにもかかわらず、救出活動は一切せず、その場を離脱しようとした。
[編集] 「からしま」と「コレックス・クンサン」の衝突事故
[編集] 概要
「第18光洋丸」と「フン・ア・ジュピター」の衝突事故による行方不明者を捜索中だった水産庁漁業取締船「からしま」(499トン・16人乗り組み)が、海上衝突防止法にもとづき国籍不明船の回避中、同法を無視する航行を行った国籍不明船に接近され、衝突防止のために停船したところ、同海域にいた韓国の貨物船「コレックス・クンサン」(4044トン・13人乗り組み)に左舷より衝突され破損・浸水した。国籍不明船は2隻とも逃走した。付近にいた同庁取締船「海鳳丸」に乗組員全員は救助されたものの、1人が軽傷を負い、「からしま」は損傷が激しく曳航不能でだったので、自沈処理された。
[編集] 「コレックス・クンサン」の不可解な行動
海上衝突予防法第14条により、真向かいに行き会う場合はそれぞれ針路を右に転じなければならないと定められているにも関わらず、「コレックス・クンサン」は左に転進して「からしま」と衝突した。また、この事故でも「フン・ア・ジュピター」同様に「コレックス・クンサン」は救助活動をしなかった。
[編集] 報道
これらの「韓国船との海難事故」は、当時の日本のテレビ・新聞などは日韓関係の悪化を恐れたためか、「パナマ船籍」(経理などの関係上、韓国会社所有でも船籍はパナマとするが、これは日本の船会社も良く行う)のみで報道されたり、ほとんど報道されなかったりと、事件の規模と比して扱いは非常に小さいことが物議を醸している。
韓国側からの謝罪や保証は一切無いにもかかわらず、日本は外交問題にしないよう、政府から報道機関まで全てこの問題に触れないよう心がけた。なお、8月6日に合同慰霊祭が行われた。