烏山の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
烏山の戦い | |
---|---|
戦争: 朝鮮戦争 | |
年月日: 1950年7月5日 | |
場所: 京畿道烏山市 | |
結果: 北朝鮮軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
北朝鮮 | アメリカ |
指揮官 | |
? | チャールズ・スミス |
戦力 | |
1100人 | 406人 |
損害 | |
戦死42人 | 戦死120人、捕虜36人 |
烏山の戦い(オサンのたたかい)は、朝鮮戦争中の1950年7月5日に京畿道烏山市付近を戦場としてアメリカ合衆国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で行われた戦闘である。アメリカと北朝鮮の地上軍同士が初めて本格的に衝突した戦闘として知られている。
6月25日の奇襲によって韓国軍を破り首都ソウルを奪取した北朝鮮軍の更なる南下を防ぐため、アメリカは日本に駐留していた第24師団の第21連隊第1大隊を基幹とする部隊を急遽派遣した。この部隊は指揮官スミス中佐の名からスミス支隊と呼ばれる。
韓国釜山に到着したスミス支隊は水原南方の烏山に進出し、近くの高地に陣取って北朝鮮軍を待ち受けた。対する北朝鮮第4師団はT-34/85戦車や自走砲などの車輌を先頭に烏山の突破を目指し、両軍が激突した。
北朝鮮軍を視認したスミス支隊は砲撃の後に無反動砲、バズーカなどで攻撃を加えたが、炸薬が劣化していたためT-34/85にはほとんど効果が無かった。北朝鮮軍の戦車と歩兵は各所で戦線を突破し、スミス支隊は総崩れとなって退却を余儀なくされた。
この戦闘がアメリカの惨敗に終わり、更に大田の戦いでも大敗した結果、北朝鮮軍の快進撃は続く事となった。