海援隊 (プロレス)
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海援隊(かいえんたい)はかつて存在したプロレスラーのユニット。みちのくプロレス、WWFで活動した。ユニットのイメージカラーは青。
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[編集] 概要
[編集] 平成海援隊
1994年、みちのくプロレスでSATO(現:ディック東郷)、テリー・ボーイ(現:MEN'Sテイオー)、獅龍(現:カズ・ハヤシ)が正規軍を離脱し「平成海援隊」として結成。ヒールユニットとして正規軍、デルフィン軍団と抗争を開始。しかしメンバー全員が故障した事によって活動停止に追い込まれてしまう。
[編集] 海援隊★DX
1996年、ディック東郷、MEN'Sテイオー、獅龍が復帰した事によって活動を再開。「夢狩人」というチームを組んでいたTAKAみちのくと船木勝一(現:フナキ)が加入し、ユニット名を「海援隊★DX」と改名。さらに中島半蔵、スーパー・ボーイらを加え、ザ・グレート・サスケ、スペル・デルフィンら正規軍と渡り合う。1997年に獅龍とTAKAがみちのくプロレスに無断で海外遠征を行い、獅龍はWCWと、TAKAはWWF(現:WWE)と契約する。
[編集] カイエンタイ
その後、TAKAの後を追って東郷、テイオー、船木が海援隊としてWWFに参戦。ヤマグチ・サンことウォーリー山口をマネージャーにTAKAと抗争するが和解し、TAKAが再合流。しかし当時WWFのシナリオライターであったビンス・ルッソとの関係が悪化し1999年に東郷、テイオー、山口は帰国、TAKAとフナキの2人でカイエンタイとして活動していく。ユニットとしての活動の場は専ら前座戦線であったが、口パクに英語の吹き替えを当てるギミックでトップレスラーとの絡みも増えブレイクする。2000年にTAKAがプエルトリコにプロレス学校「KAIENTAI-DOJO」を設立。2001年にTAKAが負傷で欠場するとフナキのみの活動となり、2002年の来日興行でフナキの試合にTAKAがセコンドとして介入したのを最後に、TAKAがWWFを退団し解散。カイエンタイの名前は同年に日本で団体として旗揚げされたKAIENTAI-DOJOに受け継がれる事となった。
[編集] メンバー
[編集] 平成海援隊
[編集] 海援隊★DX
[編集] カイエンタイ
- TAKAみちのく
- フナキ
- ディック東郷(1999年に脱退)
- MEN'Sテイオー(1999年に脱退)
- ヤマグチ・サン(マネージャー、1999年に脱退)