浅田信興
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浅田信興(あさだのぶおき、嘉永4年10月12日(1851年11月5日) - 昭和2年(1927年)4月27日)は日本の軍人。陸軍大将・男爵。埼玉県出身。川越藩士坂口朗忠の三男で、川越藩士浅田順信の養子。養嗣子は浅田良逸陸軍中将。娘は中島正武陸軍中将に嫁ぐ。
日露戦争に従軍。近衛師団長、明治39年7月6日に久留米第12師団長、明治43年8月26日に大阪第4師団長を経て、明治44年(1911年)に教育総監に就任(~1914年)。大正元年(1912年)に陸軍大将に昇る。最終官職は軍事参議官兼東京衛戍総督。大正10年(1921年)に退役し、昭和2年(1927年)に77歳で死去。