津田盛月
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津田 盛月(つだ もりつき(せいげつ))は、安土桃山時代の武将。織田氏の一族である。
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時代 | 安土桃山時代 | |||
生誕 | 不明 | |||
死没 | 文禄2年(1593年) | |||
別名 | 織田信重、織田信勝、 外峯四郎左衛門(別名) |
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官位 | 従五位下、隼人正 | |||
氏族 | 織田氏→津田氏 | |||
父母 | 父:織田刑部大輔 | |||
兄弟 | 兄:中川重政 | |||
子 | 津田信任、津田信成 |
「織田系図」では、中川重政の弟で、織田信長の叔父・織田信次の孫と言われている。父は織田刑部大輔と言われる。
早くから信長に仕えて、信長の尾張統一に協力した。その功績により黒母衣衆の一員となる。永禄12年(1569年)からは信長の命令で足利義昭の守備を任された。
ところが兄の重政と長光寺城主・柴田勝家との領地が入り組んでおるために抗争が起き、盛月は勝家の代官を斬り、兄と共に改易となったうえで追放された。後、秀吉に召されて姫路にいたり、「外峯四郎左衛門」と名を改めてこれに仕えた。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いに参加し、その功績により従五位下、隼人正に叙任され、津田姓に改める。天正15年(1587年)の九州征伐にも参加し、秀吉から所領を与えられて大名となった。文禄2年(1593年)に伏見にて死去。後を長男の津田信任が継いだ。