武藤孝司
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武藤 孝司(むとう たかし、1973年6月6日 - )は神奈川県出身の元大阪近鉄バファローズの内野手。現役当時の背番号は48(後に6)。ポジションは主に遊撃手、現役晩年は二塁手。右投げ左打ち。50m5秒8の俊足と巧打が持ち味で、三振と併殺打の少ないバッティングに定評があった。
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[編集] 来歴・人物
横浜市立横浜商業高等学校、創価大学を経て1995年のドラフトで近鉄バファローズに3位指名され、入団。
高校時代は1990年に夏の甲子園に出場し、ランニングホームランを放った。
2年目の1997年にショートのレギュラーとして定着、規定打席に到達し、.282、26盗塁の好成績を残し、同期の岡本晃と共に新人王候補に挙がる活躍を見せた。
1998年には大村直之と共に俊足左打者の1・2番コンビを形成、共にオールスターに出場した。
1999年も大村と1・2番を打ったが、ケガの影響で規定打席到達はならなかった。
2000年は規定打席に到達し打率.311、20盗塁と自己最高の打撃成績を残したものの、右肩を痛めて二塁手やDHとしての出場が多く、シーズンオフには右肩を手術した。
その後もケガに苦しみ、チームが優勝した2001年には一軍出場はなく、2002年もわずか18試合の出場にとどまった。
2003年も一軍出場はなく、シーズンオフには戦力外通告を受け、その後スカウトへの転身が発表された。ファンからは現役引退を惜しむ声が多かった。
2006年からは東北楽天ゴールデンイーグルスでスカウトを務めている。
[編集] エピソード
- 近鉄・いてまえ打線のレギュラー選手としては珍しく非力なことで有名であり、プロ入り初のホームランはプロ入り4年目の1999年、デビューから1000打席ほど経過してのことであった。これはプロ野球史上5本の指に入る遅さである。(他に五指に入っている選手に村松有人がいる)
- 2000年にはプロ入り2本目にして最後のホームランをグリーンスタジアム神戸で放ったが、これは推定飛距離115mでライトスタンド中段に届く文句なしのホームランであった。これには武藤自身も驚き、「(試合前の)バッティング練習でもあんなに飛んだことはありません」とコメントした。
[編集] 生涯成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四死球 | 三振 | 打率 | 出塁率 | 併殺打 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996年 | 近鉄 | 14 | 17 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 1 | 2 | 3 | .235 | .316 | 0 | |
1997年 | 119 | 390 | 55 | 110 | 13 | 7 | 0 | 137 | 29 | 26 | 29 | 2 | 26 | 54 | .282 | .330 | 0 | ||
1998年 | 127 | 392 | 53 | 98 | 20 | 3 | 0 | 124 | 32 | 16 | 38 | 2 | 38 | 36 | .250 | .315 | 1 | ||
1999年 | 100 | 279 | 34 | 78 | 6 | 3 | 1 | 93 | 19 | 7 | 25 | 1 | 27 | 24 | .280 | .342 | 3 | ||
2000年 | 119 | 366 | 62 | 114 | 20 | 6 | 1 | 149 | 41 | 20 | 15 | 3 | 52 | 31 | .311 | .394 | 3 | ||
2001年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | ||
2002年 | 18 | 21 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 1 | 2 | 0 | 4 | 2 | .190 | .320 | 0 | ||
2003年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | ||
通算成績 | 497 | 1465 | 207 | 408 | 59 | 19 | 2 | 511 | 123 | 71 | 110 | 8 | 145 | 150 | .278 | .342 | 7 |
[編集] 背番号
- 48(1996年~1999年)
- 6(2000年~2003年)