横山党
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横山党(よこやまとう)は、武蔵七党の一つ。
[編集] 概要
平安時代後期から鎌倉時代にかけて武蔵国多摩郡(現・東京都八王子市)の横山庄を中心として、埼玉県大里郡・比企郡から神奈川県橘樹郡(現・川崎市)までの武蔵国から、相模国北部にかけて勢力を張った同族的武士団である。その勢力は武蔵七党随一であった。[要出典]小野篁の後裔といい、武蔵国多摩郡横山(現・東京都八王子市元横山町)を本拠として横山を名乗ったという。当時「横山」とは多摩丘陵を指し、万葉集に「多摩の横山」と詠われている。
1156年(保元元年)保元の乱、1159年(平治元年)平治の乱では、源氏に従軍し活躍した。 1192年(建久 3年)、源頼朝が鎌倉幕府を開くと、横山党の横山時広は軍功により横山庄の所領を安堵される。源平の合戦で横山氏が活躍したことは『平家物語』に記述がある。
1213年(建暦 3年)、和田合戦で和田義盛に加勢した横山時兼とその一党は鎌倉で全滅した。横山党本拠地であった横山庄は大江広元に与えられた。
1214年(建保 2年)、大江広元は横山党の始祖横山義孝を祀った横山神社を八幡八雲神社の境内に創建した。八幡八雲神社は、小野氏が武蔵守としてこの地にやってきたとき、岩清水八幡宮を勧請したのが始まりといわれている。
[編集] 横山党の諸氏
横山、椚田、海老名、藍原(相原、粟飯原)、平子、野部、山崎、鳴瀬(成瀬)、古郡、小倉、由木、室伏、大串、千与宇、伊平、樫井、古市、田屋、八国府、山口、愛甲、小子、平山、石川、古沢、小野、古庄、中村、大貫、田名、小沢、小俣、本間、中野
[編集] 関連項目
(7つとは限らない)