村山達雄
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村山 達雄(むらやま たつお、1915年2月8日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚。新潟県長岡市出身。大蔵官僚を経て、自由民主党衆議院議員。福田赳夫改造内閣、竹下登改造内閣、宇野宗佑内閣の大蔵大臣、鈴木善幸内閣の厚生大臣を歴任した。
[編集] 来歴・人物
1935年(昭和12年)東京帝国大学法学部を卒業する。大蔵省に入省する。主に主税局畑で務め1960年(昭和35年)主税局長に就任。同じく大蔵省出身の池田勇人をして「村山の前に主税局長なく、村山の後にも主税局長なし」と言わせしめたほどであった。
1963年(昭和38年)大蔵省を退官し、第30回衆議院議員総選挙に立候補し当選する。以後当選回数12回。自民党では、池田勇人を領袖とする宏池会に所属した。1968年(昭和43年)運輸政務次官、1971年(昭和46年)法務政務次官を務める。1977年(昭和52年)福田改造内閣の大蔵大臣として入閣する。この時の蔵相は自民党政務調査会長であった河本敏夫が有力候補であったが、福田赳夫首相は自分と同じ大蔵官僚の村山を起用し、河本は通産相に就任した。
1980年(昭和55年)鈴木善幸内閣の外務大臣であった伊東正義が日米首脳会談での共同声明の解釈を巡り、軍事同盟ではないと発言した鈴木首相と齟齬をきたして辞任する。伊東の後任に厚生大臣の園田直が就任し、村山は園田の後任の厚相に就任する。
1988年(昭和63年)竹下内閣の副総理・蔵相で派閥領袖であった宮沢喜一がリクルート事件に関与して辞任し、後任の蔵相に就任する。翌1989年(平成元年)成立の宇野内閣でも留任し、消費税の導入、平成元年度予算審議などに尽力した。
その後は、自民党税制調査会の幹部として活躍した。また、閥務では宮沢派を経て加藤紘一派に所属した。1993年(平成5年)勲一等旭日大綬章を受章する。2000年(平成12年)政界を引退した。
官僚、学者肌の地味な人柄で、税制に関する力量は自民党内随一であったが、大衆的人気は今ひとつで、田中角栄と同じ選挙区であったため、選挙は毎回苦戦を強いられた。ヘビースモーカーかつ酒豪でも知られる。
自民党衆議院議員の山本幸三は女婿である。
- 厚生大臣
- 1981
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- 先代:
- 園田直
- 次代:
- 森下元晴