末弘厳太郎
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末弘 厳太郎(すえひろ いずたろう、1888年11月30日 - 1951年9月11日)は、大正・昭和期の日本の法学者。
1888(明治21)年、大審院判事であった末弘厳石(すえひろげんせき)の長男として山口県に生まれる。東京開成中学、第一高等学校を経て、1912(明治45)年に東京帝国大学独法科卒業。1921(大正10)年に東京帝国大学法学部教授となり、民法や労働法研究に多くの業績を残した。石黒忠篤農相のもとで小作立法のための調査を行い、戦時下には中国農村慣行調査の中心となった。
第二次世界大戦後、東大を退職してGHQのもとで労働三法の制定に関与し、1947年(昭和22年)には中央労働委員会初代会長となった。
著書に『嘘の効用』(冨山房百科文庫。のち岩波現代文庫より『役人学三則』として再編集され刊行)など。