木更津駐屯地
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木更津駐屯地(きさらづちゅうとんち)は、千葉県木更津市吾妻地先に所在し、第1ヘリコプター団等が駐屯する陸上自衛隊の駐屯地である。
駐屯地司令は、第1ヘリコプター団長が兼任している。
目次 |
[編集] 概要
敷地内に、陸上自衛隊木更津飛行場があり、2006年(平成18年)度に中央即応集団に組み入れられる予定の第1ヘリコプター団の拠点となっている他、先進国首脳会議などで、海外の首脳が来日した際等に使われる、賓客の移動専用のAS322L2ヘリコプターの運用を行う特別輸送飛行隊が駐屯している。また、駐留部隊はいないものの、在日米軍の補助飛行場に指定されており、施設が提供されている。
有事の際は、第1ヘリコプター団のヘリを速やかに習志野駐屯地に向かわせ、そこに駐屯している第一空挺団や特殊作戦群の隊員をピックアップし、直接現地へ向かうか、木更津飛行場や海上自衛隊下総航空基地へ移動して、航空自衛隊の入間基地から移動してきたC-1輸送機で日本全国へ展開させる。
かつては大日本帝国海軍の航空基地であった。日本初のジェット機、橘花が初飛行した場所でもある。
1945年9月に米軍が接収した後、しばらくは米空軍の基地として使用されていたが、1956年に航空自衛隊木更津基地が発足し、輸送機部隊や飛行点検隊などが主に使用するようになった。 その後、米空軍の部隊は1961年に立川飛行場(東京都・1977年全面返還)に移転し、施設の管轄権が米空軍から米海軍へ移動した。 1968年には航空自衛隊の部隊が入間基地に移転し、同年、霞ヶ浦駐屯地(茨城県)から陸上自衛隊第1ヘリコプター団が移転、陸上自衛隊木更津駐屯地として現在に至っている。 また、1968年12月の第9回日米安全保障協議委員会における在日米軍施設区域調整計画で基地返還が検討されたが、米軍が「不可欠の任務のため」当施設を継続的に使用する権利を有することになり、現在まで全面返還は実現していない。 その後、米第七艦隊の空母に所属する故障中の艦載機が格納庫へ搬入されていたこともあったが、1975年に米海軍の部隊が横須賀海軍施設(米海軍横須賀基地・神奈川県)に移転したのちは、米軍の使用実態はほとんど無い。
日米安全保障条約上の施設名称は「木更津飛行場」。米海軍は「Kisarazu ALF(Auxiliary Landing Fieldの略)」という呼称を用いることが多い。
木更津飛行場 | |||
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IATA:N/A- ICAO:RJTK | |||
概略 | |||
空港種別 | 軍用 | ||
航空管制 | 陸上自衛隊 | ||
海抜 | 10ft(3m) | ||
位置 | 北緯35度23分54秒東経139度54分36秒 | ||
滑走路 | |||
方向 | ILS | m×幅 | 表面 |
02/20 | NO | 1,830×46 | 舗装 |
[編集] 航空管制
TWR | 126.2MHz,138.05MHz,140.5MHz,236.8MHz,359MHz |
APP | 119.1MHz,261.2MHz |
RESCUE | 123.1MHz |
- TWR,RESCUEは、陸上自衛隊東部方面管制気象隊第3派遣隊が担当
- APPは、国土交通省東京航空局東京空港事務所航空管制官が担当
[編集] 航空保安無線施設
局名 | 種類 | 周波数 | 識別信号 | 運用時間 |
KISARAZU | VOR | 114.5MHz | KZE | 24 |
KISARAZU | DME | 1179MHz | 24 |
- 保守は、国土交通省東京航空局東京空港事務所航空管制技術官が担当
[編集] 主要な駐屯部隊
[編集] 陸上自衛隊
- 第1ヘリコプター団
- 第4対戦車ヘリコプター隊:AH-1S・OH-6D
- 東部方面管制気象隊第3派遣隊
- 第428会計隊
- 第320基地通信中隊木更津派遣隊
- 第112地区警務隊木更津派遣隊
- 木更津駐屯地業務隊
[編集] 海上自衛隊
- 航空補給処
[編集] 航空自衛隊
- 第1補給処
[編集] 関連項目
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