明神電車
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明神電車(めいしんでんしゃ)は、かつて兵庫県大屋町(現・養父市)・朝来町(現・朝来市)の明延鉱山にあった鉱山用軌道。明延(あけのべ)と神子畑(みこばた)を結ぶことからその名がついた。
[編集] 概要
鉱石の輸送を目的に敷設された。
本来は神子畑-新井(国鉄播但線)間の下部軌道とワンセットの上部軌道に位置づけられていたが、道路整備で下部軌道は早期(1957年)に廃止され、上部軌道に当たるこちらのみが残された。
当初は途中を索道で連絡していたが、輸送力強化のために長大なトンネルが開削され、全通した。
鉱石列車のほかに、鉱山関係者の便宜を図って人車も1945年から運行された。この時、当初は運賃無料であったのが、1949年から50銭、1952年から1円を徴収するようになった。その運賃はその後、1988年の廃線まで変わらなかった。「1円電車」と呼ばれる所以はここにある。
なお、登山客へも10円の料金を徴収して開放していた事があり、その後は関係者かどうかに関係なく運賃を1円(本来は99銭の設定であったが、正しく支払うのに必要な通貨が存在せず徴収不能のため、便宜上1円としたという)に統一した。しかし、1960年代にマスコミで「運賃が1円」ということが取り上げられた結果、興味本位の部外者の乗車が増え、その中には運行を妨害するような者も少なからずいたことから、業務に支障が出ると言う本末転倒の事態になり、部外者の乗車を禁止せざる得なくなった。
鉱山鉄道としては重軌条化、プッシュプル方式の電気機関車の無線操縦(車載不能であった機器は隣に連結された貨車に搭載された)による総括制御など合理化と輸送力強化がキャパシティの限界まで徹底されていたが、その一方で自社工場製の電動客車(白銀・赤金)や客車(くろがね・わかば・あおば)による人員輸送も、代替交通機関が存在しなかった事から最後まで継続した。
円高の進行で錫鉱山としての明延鉱山の競争力が低下し、閉山となったため、廃線となった。
なお明神電車は全長約6kmでほとんどがトンネル区間となっており、軌間762mm・直流550V電化であった。
なお、坑道内の500mm軌間を採用した軌道と敷地を共用していた区間が一部にあり、ここは三線軌条となっていた。500mm軌間の区間には非電化と電化の区間が両方あり、バッテリー式機関車と電気機関車が併用されていた。
[編集] 廃線後
[編集] 関連項目
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