日本列島ここが真ん中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
MROラジオストーリー 日本列島ここが真ん中(MROラジオストーリー にほんれっとうここがまんなか)は、1974年7月から1998年10月まで北陸放送ラジオ(MRO)で放送されていた午後の情報番組。「日本列島」と略されることが多かった。
現在では同時刻の番組は「石川名物 GOGOは本多町3丁目」(月~金12時30分~16時20分)として引継がれている。
目次 |
[編集] 概要
放送時間は毎週月曜から金曜の14時から16時45分頃まで(最末期の放送時間)。1974年7月にスタートし、1998年10月に終了するまで約24年間続いたMROラジオの看板番組だった。日替わりで一つのテーマに沿って金沢市近郊を中心にラジオカーを走らせ各地から生中継を行い、時には電話・FAXで寄せられたリスナーからの情報に基づいてその場所に駆けつける機動性が人気を博した。
[編集] 担当パーソナリティ
この番組では決められたパーソナリティが居らず、毎日MROのアナウンサーが交替でパーソナリティを務めていた。 基本的にはスタジオ担当のアナウンサーとピアニストの青山保氏(ジングルやちょっとした時間調整にピアノを生演奏しつつサブパーソナリティを務めた)、ラジオカーからのレポート担当のアナウンサーが出演、時折「応援団」と称したゲストが一緒にラジオカーに乗り込んで四季折々の石川を味わうこともあった。
[編集] 応援団
この「応援団」、当時のMROのタイムテーブルには永六輔氏やアントニオ古賀氏等そうそうたる面々が記載されているが1990年代には地方キャンペーン中の演歌歌手が中心となった。放送時間終了後、次の営業先へ列車で移動する歌手をそのままラジオカーで金沢駅へ送り届けたことも少なくない。
間寛平がABCのテレビ番組「探偵!ナイトスクープ」のロケを能登半島で行っていた際にインタビューした地元の老女に「何の番組?日本列島?」などと聞かれスタッフ一同何のことかわからないまま「わけのわからない事をいうおばあちゃん」的にオンエアされてしまったことがある。
これは石川県内で有名人が来て放送番組の収録・取材をするというとまず連想されたのが「日本列島」の「応援団」であったため(加えて「ナイトスクープ」のロケを行う番組制作会社JAWSの取材車が当時MROのラジオ中継車に使われていたものと同じトヨタのハイエースであったことも誤解に拍車をかけたと思われる)。この老女に限らずこのような連想をする県民は少なくなかったようだ。当時の石川県内に於ける番組知名度がかなりのものであったことを示すエピソードといえよう。
[編集] ラジオカー
当時のMROはこの番組をはじめラジオ中継に力を入れており、地方都市のラジオ局としては珍しく、3台のラジオ中継車を保有していた。
- メインで使用された中継車。側面後部に「日本列島」のロゴが入っていた。後にトヨタ・グランビアの「とび丸」に更新された。
- 「らじ丸」の愛称を持つ。他の2台と異なり市販車そのままの塗色で、8ナンバーではなく3ナンバーだった。
- 稼働率は一番低かったものの災害時の取材などを考慮して導入されていた4WD車のため、冬の白山麓地域など積雪・山間地からの放送で使用された。