日新館高等学校
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日新館高等学校 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人飯塚学園 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
分校 | なし |
課程 | 全日制の課程 |
二部以上の授業 | なし |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科 |
学科内専門コース | 特別進学コース 進学コース |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒820-0011 |
福岡県飯塚市柏の森56-9 | |
電話番号 | 0948-22-0370 |
FAX番号 | 0948-23-7509 |
外部リンク | 公式サイト |
日新館高等学校(にっしんかんこうとうがっこう)は福岡県飯塚市にある男女共学の私立高等学校である。設置者は学校法人飯塚学園。
生徒数減少の為、2007年度限りの廃校が決定した。
目次 |
[編集] 概要
1975年4月、北九州市小倉北区に男子校の日新館中学校(現・小倉日新館中学校)が開校。当初は小倉の地での中高一貫教育を計画していたが、設立認可が下りずに断念。やむなく1977年度限りの廃校が決定していた飯塚女子高等学校の校舎を買収し、1978年4月、原則全寮制の男子校である日新館高校が開校した。1981年4月には日新館高校内に同じく男子校の日新館中学校飯塚分校(現・飯塚日新館中学校)が開校し、福岡県筑豊地区唯一の中高一貫教育を開始するが、一貫教育組・外部組共に思ったほどの実績は上がらなかった。尚、本校の入学試験は数学の結果を重視しており、数学の苦手な受験者は他教科の結果が優秀でも不合格にされていた。
少子化による入学者減少に対応するため、2000年度からは男女共学となるが、入学者数の減少は止まらず、2002年頃から毎年150名の定員に対して50名前後の入学者しか確保できなくなり、2005年度には入学予定者が11名まで減少した。そのため急遽2006年度限りでの廃校を決定し、受験者全ての合格内定を取り消す措置をとった。しかし、この措置に対して周辺の公立中学校は反発し、強く問題視したため、数日後に日新館側では合格内定取り消しを中止し、11名の入学予定者もすべて受け入れた。
最終的には2006年度以降の新入生募集は行わず、2005年度に入学した11名が卒業する2007年度末限りで廃校することが決定した。なお、飯塚日新館中学校は2008年度以降も存続する予定である。
[編集] 沿革
- 1978年(昭和53年) 日新館高等学校開校、新年度より学校教育開始。
- 1981年(昭和56年) 日新館中学校飯塚分校を新設
- 1986年(昭和61年) 新校舎完成
- 2000年(平成12年) 新年度より男女共学化
- 2008年(平成20年) 廃校予定
[編集] 教育方針
大変厳しい校風である。尚、中等部では1992年度(平成4年度)の入学者より他の高校への受験が可能となり、実質上中高一貫教育に終止符が打たれた。
[編集] 部活動
本校には軟式野球部が存在する。1986年(昭和61年)には初めて県大会を制覇し、北部九州大会へ進出した。県大会制覇の翌日には生徒を臨時出校させて応援合戦を行ったがその光景は凄まじく、罵声有り、脅迫有り、暴力有り、欠席した生徒は夏期休暇取り消し、といったものであった。この日(昭和61年7月28日)は「伝説の出校日」と呼ばれて現在でも語り継がれている(優勝旗が渡されるシーンは本校のホームページにも紹介され、バックには建設中の新校舎の姿も見える。ちなみに北部九州大会では大分県立四日市高等学校に完敗)。しかし最近では福岡県立聾学校高等部以外の高校には全く勝てなくなっている。
[編集] その他
- 以前は福岡県内の中学3年生がほぼ全員参加する業者テスト「フクト」の受験会場であったが、1986年(昭和61年)に校内で受験生による放火事件が起こり、それ以来主催者の株式会社フクトに対し受験会場としての使用許可を取り消した。
- 開校からしばらくは嘱託雇用の教師が非常に多く、地元の公立学校関係者からは「姥捨て山」と揶揄されていた。
- 原則全寮制の高校であったが、筑豊地区に居住していた生徒の多くは通学していた。
- 開校からしばらくは小倉日新館中学校の卒業生が多く入学し、寮は活気に溢れていた。
[編集] 校歌
- 作詞:日新館
- 作曲:森脇憲三
[編集] 設置学科
- 普通科
- 特別進学コース
- 進学コース