文永
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文永(ぶんえい)は、日本の元号の一つ。弘長の後、建治の前。1264年から1274年までの期間を指す。この時代の天皇は亀山天皇、後宇多天皇。鎌倉幕府将軍は宗尊親王、惟康親王、執権は北条長時、北条政村、北条時宗。
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[編集] 改元
[編集] 出典
「後漢書‐荀悦伝」の「漢四百有六載、揆レ乱反レ正、統レ武興レ文、永惟二祖宗之洪業一、思光二啓万嗣一」。
[編集] 文永期におきた出来事
- 元年
- 2年 続古今和歌集が成立。
- 3年 惟康親王が鎌倉幕府7代将軍に就任。
- 4年 朝鮮半島から高麗の使者がモンゴル帝国大ハーンのクビライ(フビライ)の国書を持ち来航する。
- 5年 幕府はモンゴルの返書の拒絶を決定し、西国の御家人に沿岸の警備を命じる。
- 8年 高麗の三別抄が日本に救援を求める。趙良弼らモンゴルの使者が再来日
- 死去
[編集] 西暦との対照表
文永 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 | 10年 |
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西暦 | 1264年 | 1265年 | 1266年 | 1267年 | 1268年 | 1269年 | 1270年 | 1271年 | 1272年 | 1273年 |
干支 | 甲子 | 乙丑 | 丙寅 | 丁卯 | 戊辰 | 己巳 | 庚午 | 辛未 | 壬申 | 癸酉 |
文永 | 11年 | 12年 | ||||||||
西暦 | 1274年 | 1275年 | ||||||||
干支 | 甲戌 | 乙亥 |