捨子古丹島
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捨子古丹島(しゃすこたんとう)は千島列島の中部に位置する、北東から南西に向けて長さ約25km、最大幅9km、最小幅900mあまりの瓢箪形をした火山島である。ロシア名シアシュコタン島(о.Шиашкотан)。捨子古丹海峡(ロシア名セヴェルギン海峡 пр.Севергина)を挟んだ北東方約16海里に春牟古丹島が、南西方約9海里には、間に牟知列岩(むしるれつがん)(ロシア名ロヴシュキ列岩 Скалы Ловушки)を挟んで雷公計島がそれぞれ隣接し、また越渇磨海峡(ロシア名エカルマ海峡 пр.Экарма)を挟む北西方、約5海里には越渇磨島がある。
島の北部には934mの黒岳(ロシア名シナルカ山 влк.Синарка)と称する火山があり、海抜90mから150mほどの鞍部を挟んだ南部には海抜820-830mの山岳がある。海岸は概ね断崖となっているが、瓢箪のくびれにあたる鞍部の西側には乙女湾と呼ばれる砂浜からなる湾がある。ラッコが多く生息し、古来幌筵島や占守島に住んでいた千島アイヌの人々が来島して、これを捕らえていたという。
1872年に火山が噴火し、出猟中の千島アイヌ13名が死亡した。また、1893年には千島報效義会の会員9名が越年を試みるが、翌年、彼らの収容のために立ち寄った艦船の乗組員によって、越年小屋から4名の遺体が発見された。残されていた日記によると、9名のうち5名が越渇磨島に出猟したまま消息を絶ち、残る4名は重い水腫病に罹り動けなくなったとのことである。発見者によれば、住居の構造から起きた酸欠のために窒息死した模様であるという。
日本領時代、捨子古丹島は北海道根室支庁占守郡に所属していたが、サンフランシスコ平和条約以後、日本政府は国際法的には所属未定地と主張しているが、ロシア連邦が実効支配している。また、ロシアではサハリン州北クリル地区に属すると認識している。
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