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越渇留磨島(エカルマ島、えかるまとう)は中部千島、捨子古丹島から越渇留間海峡を挟んだ北西約5海里に位置する、東西約7.4km、幅約5.5kmの長方形の島である。全島で一山を形成していて、海抜は1179m。日本領時代は北海道根室支庁占守郡に属した。日本政府は国際法的には所属未定と主張しているが、ロシア連邦が実効支配している。ロシア名エカルマ島(о.Экарма)。
1893年、捨子古丹島にて越冬していた千島報效義会の会員五人が越渇磨島に出漁して遭難し、全員死亡した。