弥生式土器
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弥生式土器 紀元1世紀から3世紀に製作されたもの。大田区久が原で出土。(東京国立博物館所蔵)
弥生式土器(やよいしきどき)は、弥生時代に使われた素焼きの土器。
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[編集] 出土場所
明治7(1884)年、東京府本郷区向ヶ岡弥生町(現東京都文京区)ではじめて出土した。発見者は、学士院会員・海軍中将造兵総監有坂鉛蔵(有坂山砲発明者)。
ただし、出土場所については東京大学構内の二箇所、東大に隣接する根津小学校の敷地内が推定されてはいるものの、特定できていない。
[編集] 特徴
縄文式土器にくらべて明るく褐色で、薄くて堅い。
形は、壼・甕(かめ)・鉢・高坏(たかつき)などの簡素な形をしたものが多く、穀物の調理や保存用の容器が中心につくられた。
文様については、縄目(なわめ)、刻(きざみ)目、櫛で描いたような描(くしがき)文などの簡単な文様を付けているが、ないものも多い。縄文式土器にも文様がないものがあったり、弥生式土器にも縄文があるものもあり、必ずしも明確に区分できるとは限らない。
良質の粘土を高熱で焼いている。古墳時代には弥生式土器は土師器と呼ばれるようになり、古代を通じて盛んに生産された。古墳時代には、窯でさらに高熱で焼いた須恵器が現れた。陶磁器である。
[編集] 使用目的
貯蔵・保存・煮炊き・お供え物用などのためにつくられた。
[編集] 関連項目
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