市橋長政
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市橋 長政(いちはし ながまさ、天正3年(1575年) - 正保5年2月11日(1648年4月3日))は、安土桃山時代の武将。江戸時代前期の大名で、越後三条藩の第2代藩主。近江仁正寺藩の初代藩主。父は林右衛門左衛門(長政は三男)。母は市橋長利の娘。正室は小山田茂誠の娘。官位は従五位下。下総守。伊豆守。
通称は左京。織田信長に仕えた武将・市橋長勝の養嗣子である。1604年から徳川氏に仕えて大坂の陣で武功を挙げたことから、下総国内に1000石を与えられた。1620年、長勝が嗣子無くして死去したため、養子の長政が後を継いだが、このとき養子ということから、所領を4万1300石から2万石に減らされた。そして同年のうちに三条から仁正寺藩に移封されている。
大坂城石垣普請や多賀神社造営など、幕府の奉行職を歴任した。1622年には弟の市橋長吉に2000石を分与したため、所領は1万8000石となった。1648年2月11日、74歳で死去し、後を子の市橋政信が継いだ。墓所:東京都荒川区西日暮里の南泉寺。