岡田重孝
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岡田 重孝(おかだ しげたか)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。尾張星崎城主。
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時代 | 戦国時代から安土桃山時代 | |||
生誕 | 不明 | |||
死没 | 天正12年3月6日(1584年4月16日) | |||
別名 | 助三郎(幼名)、直景(別名) | |||
官位 | 長門守 | |||
氏族 | 岡田氏 | |||
父母 | 父:岡田重善 | |||
兄弟 | 岡田重孝、岡田善同 | |||
子 | 岡田善治 |
岡田重善の長男として生まれる。はじめ織田信長に仕えたが、信長が死去するとその次男・織田信雄の家臣として仕えた。天正11年(1583年)、父の死去により家督を継いで当主となる。
浅井長時・津川義冬らと共に三家老として信雄をよく補佐し、羽柴秀吉(豊臣秀吉)からもその器量を認められていた。しかし秀吉との内通を信雄から疑われ、長時や義冬らと共に天正12年(1584年)3月6日に信雄によって伊勢長島城に呼び出されて殺された。