岡田良一郎
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岡田良一郎(おかだ りょういちろう、雅号淡山、1839年10月21日~1915年1月1日)は、日本の実業家、政治家、衆議院議員。二宮尊徳の弟子として報徳思想の普及に尽力し、地域の振興に努めた。
遠江国佐野郡倉真村(現在の静岡県掛川市倉真)出身。雅号の淡山は、掛川にある粟ヶ岳(淡ヶ岳)にちなんでいる。長男は岡田良平、次男は一木喜徳郎。
[編集] 略歴
- 1839年(天保10年) ‐ 遠江国佐野郡倉真村(現在の静岡県掛川市倉真)の庄屋の家に生まれる
- 1854年(嘉永7年) ‐ 父の佐平治とともに二宮尊徳の弟子となる
- 1875年(明治8年) ‐ 遠江報徳社を設立する
- 1877年(明治10年) ‐ 自宅に私塾冀北学舎を設立する
- 1878年(明治11年) ‐ 掛川農学社を設立する
- 1879年(明治12年) ‐ 勧業資金積立組合(現在の掛川信用金庫)を設立する
- 1880年(明治13年) ‐ 静岡県立掛川中学校(現在の静岡県立掛川西高等学校)の初代校長に就任する
- 1911年(明治44年) ‐ 遠江報徳社を大日本報徳社に改称し、全国の報徳社の中心組織とする。