岡松参太郎
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岡松参太郎(おかまつ さんたろう 1871年8月9日-1921年12月15日)は、日本の法学者。
熊本県出身。東京府立第一中学校、第一高等学校を経て、1894年に帝国大学法科大学英法科卒業。ただちに助教授に就任し、1896年~1899年の間、民法研究のため欧州留学した。1899年、京都帝国大学法科大学教授に就任。以後、後藤新平に呼び寄せられ1907年、南満州鉄道理事、翌年に帝国学士院賞受賞、この年から満鉄東亜経済調査局長を兼任した。1913年に退官と同時に満鉄の役職の辞職した。1917年、拓殖調査会委員に就くも、1921年に死去した。
ドイツ流の精鋭な法解釈を日本に持ち込んだことで、以後の日本の法学会において、とりわけ民法学の草分け的存在であった。
息子に商工次官を歴任した岡松成太郎、弟に国務大臣を歴任した井上匡四郎がいる。
著書に、「法律行為論」、「無過失損害賠償責任論」、「註釈 民法理由」(全3巻)、「刑法の私法観」など。