小田急向ヶ丘遊園モノレール線
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向ヶ丘遊園モノレール線(むこうがおかゆうえんものれーるせん)は、神奈川県川崎市多摩区の向ヶ丘遊園駅から神奈川県川崎市多摩区の向ヶ丘遊園正門駅を結んでいた小田急電鉄のモノレール路線。
なお、本稿では同じく向ヶ丘遊園の入園客輸送に使用され豆汽車・豆電車と呼ばれた稲田登戸(→向ヶ丘遊園)~向ヶ丘遊園(正門)間の鉄道線についても記述する。
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[編集] 路線データ
[編集] 歴史
1927年(昭和2年)4月、神奈川県橘樹郡向丘村に向ヶ丘遊園が開園した。この向ヶ丘遊園は最寄駅の稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅)から1km以上も離れていたため、入園客の輸送手段として1927年6月に稲田登戸~向ヶ丘遊園(正式駅名かどうかは不明)間に鉄道路線が開通した。非電化単線の路線を走るガソリン機関車や小型客車群は豆汽車(まめきしゃ)と呼ばれて親しまれた。その後戦時中に撤去されるが、1950年(昭和25年)3月に復活開業し、このとき製造された小型蓄電池機関車や小型客車群は戦前の豆汽車に代わり豆電車(まめでんしゃ)と呼ばれるようになった。
この豆電車は道路の拡張工事のため1965年(昭和40年)に廃止され、代替路線としてモノレールが建設されることになり、1966年(昭和41年)4月に向ヶ丘遊園モノレール向ヶ丘遊園~向ヶ丘遊園正門間が開業した。この路線はアメリカのロッキードの日本法人である日本ロッキード・モノレールが主導した日本では珍しいロッキード式モノレールであり、車両は川崎航空機工業(現・川崎重工業)が試作した車両を購入し、500形となった。
このロッキード式モノレールは好評で多くの利用客に恵まれた。また向ヶ丘遊園でウルトラマンショーが開催されるとウルトラマンのマスクを取り付け話題となった。
その後、レジャーの多様化などによって斜陽の時代を迎え、乗客は減少していった。ウルトラマンのマスクも乗客の減少によってPR効果もほとんどなくなり取り外されたのである。そして2000年(平成12年)2月の車両点検中に台車に致命的な欠陥があることが発覚し、同月中に運転休止された。その後ロッキード式という希少性から改修工事が難しく、それに対する向ヶ丘遊園の入園客は減少していたため、運転再開されることなく2001年(平成13年)2月に廃止され、ロッキード式モノレールは姿を消した。その後、同年3月にさよなら運転の代わりに「さよなら展示会」が行われ、74年の歴史に幕を閉じた。
そして入園客が減少し続けた向ヶ丘遊園も2002年(平成14年)4月に閉園し、75年の歴史に幕を閉じた。
[編集] 豆汽車・豆電車
- 1927年(昭和2年)6月x日 豆汽車(路線名不明)稲田登戸(現・向ヶ丘遊園)~向ヶ丘遊園(正式駅名かどうかは不明)間開業。
- 194x年(昭和1x年)x月x日 戦局悪化により稲田登戸~向ヶ丘遊園間廃止。
- 1950年(昭和25年)3月25日 豆電車(路線名不明)稲田登戸~向ヶ丘遊園間復活開業。
- 1955年(昭和30年)4月1日 稲田登戸駅が向ヶ丘遊園駅に改称(以下、もとの向ヶ丘遊園駅は向ヶ丘遊園正門駅と記述する)。
- 1965年(昭和40年)x月x日 道路拡張工事により向ヶ丘遊園~向ヶ丘遊園正門間廃止。
[編集] ロッキード式モノレール
- 1966年(昭和41年)4月23日 向ヶ丘遊園モノレール向ヶ丘遊園~向ヶ丘遊園正門(正式名称)間開業。
- 2000年(平成12年)2月13日 車両の台車の欠陥により向ヶ丘遊園~向ヶ丘遊園正門間運転休止。
- 2001年(平成13年)2月1日 向ヶ丘遊園~向ヶ丘遊園正門間廃止。
- 2001年(平成13年)3月24日・25日 「さよなら展示会」実施。
[編集] 概要
向ヶ丘遊園正門駅付近を除く全線が東京都道・神奈川県道9号川崎府中線(府中街道)など道路および遊歩道と平行している。
[編集] 駅一覧
[編集] 接続路線
- 向ヶ丘遊園駅:小田急小田原線
[編集] 廃止後
[編集] 廃線跡
廃止後、モノレールの駅や支柱などはそのまま放置されていたが、2002年(平成14年)から2004年(平成16年)にかけて段階的に撤去され、現在モノレール跡を偲ばせる遺構は存在しない。
[編集] 車両
モノレールの500形はさよなら展示会終了後解体されたが、豆電車時代の蓄電池機関車は鉄道線廃止後の1967年(昭和42年)に向ヶ丘遊園の遊戯施設「フラワートレイン」に転用され、1982年(昭和57年)の現役引退後は向ヶ丘遊園内の倉庫に保存された。その後2002年(平成14年)4月1日に向ヶ丘遊園が閉園された後は「けいてつ協会」という団体に引き取られ静態保存されているが、動態保存の計画もある。