小岩井農場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小岩井農場(こいわいのうじょう)は、岩手県雫石町にある日本最大の民間総合農場である。
盛岡市の西北約12kmに位置し、岩手山南麓に約3,000ヘクタール(900万坪)の広大な敷地面積を誇り、その敷地の3分の2が雫石町に属し、残り3分の1は滝沢村に属する。
目次 |
[編集] 歴史
1890年(明治23年)11月1日に日本鉄道が東北本線を盛岡駅まで延伸開業したのを契機に、翌1891年(明治24年)、日本鉄道会社副社長の小野義真(おのぎしん)、三菱社社長の岩崎弥之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり、三名の姓の頭文字を採り「小岩井」農場と名付けられた。
当時のこの地域一帯は、岩手山からの火山灰が堆積し冷たい吹き降ろしの西風が吹く不毛の原野で、極度に痩せた酸性土壌であったという。そのために、土壌改良や防風・防雪林の植林などの基盤整備に数十年を要した。
1899年(明治32年)に三菱のオーナー一族・岩崎家の所有となる。戦前は育馬事業も行われており、三冠馬セントライトなど数々の名競走馬を輩出したが、GHQの勧告により1949年(昭和24年)に競走馬の生産から撤退を余儀なくされた。これに変わり、後述の種鶏事業が1950年(昭和25年)より始められている。
1938年(昭和13年)より、小岩井農牧株式会社として事業活動を行っており、現在、酪農・種鶏・たまご・山林・環境緑化・技術研究・観光・農場商品販売等の事業を行っている。
同場は、岩手県の代表的観光地として知られ、「小岩井農場まきば園」等の施設は一般に開放されている。毎年2月上旬には、このまきば園を会場として、40年近くの歴史を誇る『岩手雪まつり』が開催される。まきば園内では観光向けに馬車鉄道も運行されている。この馬車鉄道は、かつて小岩井駅から農場内の各事業所を結び、現在のまきば園近くの「上丸牛舎」まで運行されていたものである。このほか、まきば園内には現在日本で唯一となったSLホテルもあり、冬季を除いて宿泊することができる。
また、同場の乳牛(ホルスタイン)の飼育数は約1,800頭であり、生産される生乳は、すべて小岩井農場内にある小岩井乳業工場にて牛乳等に商品化されている。
乳業事業を行っている小岩井乳業株式会社は1976年(昭和51年)に分離・独立し、キリングループの一員となっているが、現在も小岩井農牧と小岩井乳業の連携の下で乳製品の生産活動が行われている。 なお、前述のまきば園近くにある同社の小岩井工場は、冬期間以外は無料で見学することが可能であり、小岩井製品が購入できる売店を併設している。
[編集] 小岩井牧場事件
「小岩井牧場事件」は、小野義真、岩崎弥太郎、井上勝(3人の頭文字をとった)によって興された地域開発であったが、東北本線の前身である東京青森間の日本鉄道との関連を指摘しなければならない。
[編集] その他
- 宮沢賢治は農場とその周辺の景観を愛好し、しばしば散策した。中でも1922年5月の散策は、詩集『春と修羅』に収録された長詩「小岩井農場」のもとになった。この詩の中には当時の農場の様子(飼育されていたハクニー馬や倉庫など)も描写されている。
- タレントの田中義剛は、自身の農場を持つに当たって「小岩井農場のような大きな農場にしたい」と語っていた。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 岩手県 | 競走馬生産者 | 岩手県の建築物・観光名所 | 馬車鉄道