小山秀綱
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小山 秀綱(おやま ひでつな、享禄2年(1529年) - 慶長8年(1603年))は結城氏の一族で小山高朝の長男。
結城晴朝の兄にあたる。弟と折り合いが悪く、特に天正年間に秀綱が居城の小山城を北条氏照に譲って、氏照がここを結城氏攻略の拠点にした事から、両者の仲は悪化する一方となった。秀綱は結城氏の家督をめぐってたびたび晴朝と争ったが、その都度に敗れた。1590年、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったために改易された。その後、弟の晴朝と和解して息子の政広は結城氏の重臣に迎えられた。だが、関が原の合戦直後に政広が病死したため、秀綱は結城氏の越前移封には従わずに隠退して程なく病死したという。これによって小山氏は滅亡した。