大艦巨砲主義
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大艦巨砲主義(たいかんきょほうしゅぎ)とは、1906年以後1920年代まで、世界の海軍がその主力たる戦艦の設計・建造方針に用いた考え方である。この時代は戦艦が海軍力の基幹(主力)として最重要視され、列強各国は攻撃力の主力たる巨砲を装備した新鋭戦艦の建造競争を行った。
戦艦の建造競争は1922年のワシントン軍縮会議の締結により一旦中断したが、1937年の条約明けで一斉に再開した。しかし1939年ヨーロッパで第二次世界大戦が始まると、欧州各国では建艦に手間のかかる戦艦の建造が遅れ気味になった。さらに緒戦の航空機の活躍を受けて、大戦中期以後海軍の主力の座を航空母艦に譲り新しい戦艦は建造されなくなった。
[編集] 本来の大艦巨砲主義
1906年にイギリスで完成したドレッドノートは、従来の戦艦に比べて飛躍的に向上した攻撃力を有していた。これ以後世界の海軍はドレッドノートに準じたド級(弩級)戦艦や更に強力な超弩級戦艦を大量に建造した。戦艦の攻撃力は主砲の大きさで決まる。敵艦より巨きな大砲を備え、敵弾に耐えられる厚い装甲を備えた戦艦が海戦では有利である。その結果戦艦とそれに搭載される主砲は急速に巨大化し、また数量で他国に負けないために大量建造が行われた。日英独は戦艦と同じ巨砲を持つ巡洋戦艦も建造した。戦艦の建造は1922年のワシントン軍縮会議で全て中断されたが、この時期の戦艦の設計・建造方針を「大艦巨砲主義」と呼ぶ。竣工年、排水量、主砲の推移を下記に示す。
1902年 | 15220t | 30.5cm砲 | 4門 | 日本戦艦三笠 (大艦巨砲主義の始まる前) |
1906年 | 18110t | 30.5cm砲 | 10門 | イギリス戦艦ドレッドノート |
1912年 | 22200t | 34.3cm砲 | 10門 | イギリス戦艦オライオン |
1913年 | 26330t | 35.6cm砲 | 8門 | 日本巡洋戦艦金剛 (1番艦のみイギリスで建造、また改装後は戦艦) |
1915年 | 29150t | 38.1cm砲 | 8門 | イギリス戦艦クイーン・エリザベス |
1920年 | 32720t | 41.0cm砲 | 8門 | 日本戦艦長門 |
建造中止 | 41200t | 41.0cm砲 | 10門 | 日本巡洋戦艦赤城 (航空母艦として完成) |
建造数については第一次世界大戦中の1916年までがピークで、1910年からの7年間に全世界で竣工した戦艦は100隻を越える。7年間に建造された戦艦+巡洋戦艦の数を国別に列記する。
イギリス | 40隻 | (チリとオスマントルコが発注した各1隻の戦艦を含む) |
ドイツ | 25隻 | |
アメリカ | 14隻 | |
日本 | 7隻 | |
フランス | 7隻 | |
イタリア | 6隻 | |
帝政ロシア | 6隻 | |
オーストリア帝国 | 4隻 | |
アルゼンチン | 2隻 | |
ブラジル | 2隻 | |
スペイン | 1隻 |
ワシントン条約明け後 列強の海軍は一斉に戦艦の建造を再開した。アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・ドイツはワシントン条約に準じた(公称)35000tクラスの戦艦を建造した。これらの戦艦は主砲として35.6cmから40.6cm砲を採用し、航空機対策として多数の対空火器を装備していた。又、同時に巨大な戦艦の建造を計画する国もあった。日本海軍は他国の戦艦をはるかに凌ぐ大和型戦艦を建造した。日本は大和型よりも大型の砲を積む戦艦の建造を予定していたほか、ドイツもビスマルク級戦艦以降巨大戦艦の建造を計画していた。すなわち当時の各国海軍上層部が依然として「大艦巨砲主義」的な発想を持っていたと考えられる。しかし 直後に始まった第二次世界大戦では、海軍の主役の座は航空母艦に移り戦艦は脇役となった。ワシントン条約期間中に建造されたフランス戦艦ダンケルク級(1937年竣工)以後第二次世界大戦終了後までの9年間に建造された戦艦は27隻であり、実際の情勢として大艦巨砲主義は終了していた。
大和型は6万トンを超す大艦であり45口径46センチ砲という巨砲を備えた大艦巨砲主義の申し子であった。戦艦との戦闘では圧倒的な優位に立てたはずの大和型も航空機には勝てず、大和、武蔵共にアメリカ海軍航空母艦搭載機の集中攻撃を受けて沈没した。また大和型の他にも連合国・枢軸国を問わず多数の戦艦が航空機や潜水艦の攻撃で沈没した。
第二次世界大戦前または戦中に建造が開始され、戦後に完成したヴァンガードとジャン・バールを最後に、新たな戦艦は建造されていない。
[編集] 比喩表現としての「大艦巨砲主義」
第二次世界大戦の状況を受けて、現在はこの言葉を経済運営や企業経営の分野において、マスコミや経営コンサルタントが批判的に揶揄として使うことが多い。すなわち、過去の成功例にとらわれた発想で作られた、柔軟性に乏しい過大なシステムを『大艦巨砲主義』になぞらえ、失敗例の解説や警鐘を鳴らす場合に比喩的に用いる。また、プロ野球で4番打者(級)などホームランバッターを重視(=足技が使える打者を軽視)したり、そういう打者をかき集めてチームを構成すること(例えば一時期の読売ジャイアンツなど)を「大艦巨砲主義」と呼ぶこともたまにはある。
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