土田國保
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土田國保(つちだ くにやす、1922年4月1日 - 1999年7月4日)は、日本の警察官僚、警視総監、防衛大学校校長。
左翼過激派に対して強硬な姿勢で臨み、警視庁警務部長であった昭和46年(1971年)12月18日、お歳暮に見せかけた爆弾が自宅に郵送され妻が即死するという事件に遭った。 弟、土田正顕は東京証券取引所社長。長男、土田龍太郎はインド哲学研究者・東京大学教授。次男、土田健次郎は儒教研究者・早稲田大学教授。三男、土田英三郎は東京藝術大学教授。
[編集] 略歴
- 大正11年(1922年)4月1日、東京都に生まれる。旧制東京高校を経て、
- 昭和18年(1943年)、東京帝国大学法学部卒業、内務省に入省。
- 戦後、警視庁に勤務。
- 昭和49年(1971年)12月18日「土田邸爆弾事件」おこる。自宅に爆弾が郵送され、妻・民子が死亡し、四男が重傷を負った。「日本石油本館地下局爆弾事件」等と共にブント系グループの犯行とされるも、のちに赤軍派メンバーからの名乗り出があり、ブントのグループは無罪に。
- 昭和50年(1975年)2月 第70代警視総監。三木武夫首相殴打事件で国家公安委員会から訓告処分を受ける
- 昭和53年(1978年)2月 北沢警察署巡査による女子大生強姦殺人事件(→警察不祥事)の責任を取り、警視総監を辞任。
- 昭和53年(1978年)- 昭和62年(1987年) 第4代防衛大学校校長。
- 平成11年(1999年)7月4日 膵臓癌のため他界。