土俵入り
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土俵入り(どひょういり)とは、大相撲の力士が土俵の上で行う儀式のことである。横綱が行うものは横綱土俵入りとして区別される。
十両と幕内の力士がそれぞれの取組開始前に横綱を除く全力士で行う。十両は幕下の取組が残り5番となったところで、幕内は十両の取組が終了した後に始まる。かつては十両の土俵入りも、幕下の取組終了後に行ったが、1970年代後半から、時間節約のために幕下上位5番を残すようになった。 また、取組の関係で十両力士が幕内で相撲をとることがあるが、そのときも土俵入りは十両でおこなう。
花道に化粧廻しをした力士が集まり、行司が先導して番付の低い順に土俵に上がる。全員が土俵に上がり終えると、拍手を打ち、右手を挙げ、化粧廻しをつまみ、両手を挙げるという一連の動作を行う。これは横綱土俵入りの、四股とせりあがりを簡略したものである。江戸時代の錦絵には、きちんと四股をふんでいる絵が残っている。このとき、全員が土俵にあがるまでは各力士は外側をむき、最後の力士があがるときに内側に向き直る。この形式は1953年1月場所から導入された。それ以前は土俵の周囲に四本柱が存在していたこともあって、最初から内側を向いていたが、1952年9月場所に四本柱の撤廃と同時に、最後まで外向きに行うことが試みられた。しかし、呼吸が合わないので、すぐに現行の方式に改められた。土俵入りを終えると再び行司の先導で花道を戻る。
天覧相撲の場合は「御前掛(ごぜんがかり)」と呼ばれる、全員が正面を向いて並び拍手を打った後に右2回左1回の四股を踏む本式で行なわれる。
江戸時代には、一人土俵入りと称して、体の異様に大きな(長身など)青年や、『怪童』と呼ばれた、巨体の少年を、客寄せのために一人で土俵入りをさせることがあった。長身の生月鯨太左エ門や、怪童の大童山文五郎などは、錦絵となって、その姿が後世まで伝えられている。こうした怪童のなかには、後に正式に初土俵を踏んだものもいた。大正時代に幕内中堅力士として活躍した中川部屋の綾鬼喜一郎は、初土俵を踏む前に、巡業先で子ども土俵入りを行っていたという。
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