中川部屋(なかがわべや)は、かつて存在した相撲部屋。
大正年間に雷部屋の鬼鹿毛が独立して創設、幕内綾鬼喜一郎らを育て、中堅部屋としてあったが、1931年1月に死去、力士たちは一門の幕下鴨緑江の武蔵川部屋に引き取られた。この中に、後に幕内力士となった三熊山美夫がいた。
その後、中川の名跡は立浪系に移り、立浪部屋の吉野山要治郎、清恵波一綱がそれぞれ一時期部屋を経営したが、関取をだせずに終わった。
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