国立公衆衛生院
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国立公衆衛生院(こくりつこうしゅうえいせいいん、英: The Institute of Public Health)は2002年(平成14年)に改組・廃止された、日本の公衆衛生の向上を目的とした調査研究機関である。
2002年(平成14年)4月1日付けで組織が改組され、国立感染症研究所の一部などと共に国立保健医療科学院となり、多極分散型国土形成促進法により現在は埼玉県和光市に移転している。
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[編集] 設置の目的
日本の公衆衛生の改善と向上のため、公衆衛生に携わる技術者の養成、訓練を行うとともに、公衆衛生に関する調査研究機関として設置された。
[編集] 旧所在地
[編集] 沿革
- 1938年(昭和13年)3月29日 - 公衆衛生院官制公布(厚生省所管)により設立
- 1940年(昭和15年) - 厚生科学研究所に改称、栄養研究所(内務省所管)を併合
- 1941年(昭和16年) - 体育研究所(文部省所管)の一部を併合
- 1942年(昭和17年)11月 - 厚生省研究所(厚生省所管)へ統合
- 1946年(昭和21年)5月 - 厚生省研究所を廃し、改めて公衆衛生院となる
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 国立公衆衛生院に改称
- 2002年(平成14年)4月1日 - 国立保健医療科学院に改組
[編集] ロックフェラー財団の援助
公衆衛生院の建物および設備は、アメリカ・ロックフェラー財団から1938年(昭和13年)に、当時のお金で約300万円の援助をうけ、日本政府に寄贈されたものである。東京大学医科学研究所および同附属病院と同じ敷地内に隣接して設置された。
[編集] 建築物としての評価
建築家内田祥三により設計され、1940年(昭和15年)に建築された。
旧国立公衆衛生院の建築様式にはゴシック(「内田ゴシック」)の特徴が取り入れられ、城壁のような高層の作りである。建設された時は周囲の木造建築の住宅街を圧倒するような雰囲気であったと察せられる。建築当時の医学界の権威主義的な雰囲気を漂わせた建物である。白金台の高台に位置し、建物の高さをあわせ、広範囲から視認することができた。
昭和57年、日本建築学会によって、典型的な近代建築として選定され、保存に努めるよう要請されており、国立公衆衛生院の廃止後は閉鎖されているが建物は保全され改装後再利用される可能性が出てきた。