和歌山大空襲
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和歌山大空襲(わかやまだいくうしゅう)とは、第二次世界大戦末期の1945年7月9日の夜から7月10日未明にかけてアメリカ軍の爆撃機・ボーイングB29による和歌山県和歌山市中心部への空襲(戦略爆撃)のことである。
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[編集] 概要
1945年7月9日深夜、100機以上のB29が和歌山市に飛来した。9日23時半から約3時間半にわたり紀ノ川北岸から和歌山市中心部にかけ爆撃を受けた。この空襲で和歌山市民の大部分が被災し、死者は1200人以上と伝わる。
和歌山市は太平洋戦争末期の1945年1月以降、アメリカ軍から度々空襲を受けていた。同様に和歌山県内各地でも、沿岸部の都市の港湾施設や石油関連施設、および内陸部の都市が同様な戦略爆撃や機銃掃射を受けていた。
そのような中、昭和20年(1945年)7月9日23時半頃、アメリカ軍B29爆撃機約100機が、和歌山市内を三時間半にわたって空襲(戦略爆撃)した。焼夷弾????発による絨毯爆撃などにより、和歌山市中心部は焦土と化した。死者約1200名、被災人口??????人(人口の約70%)、被災戸数?????戸、被災面積?平方キロメートル(市街地の??%)と、地方空襲の中でも大規模な空襲の一つとなった。幾度となくあった空襲の内、この大規模な7月9日の戦略爆撃を「和歌山大空襲」と呼んでいる。
[編集] 主な被災
[編集] 和歌山城焼失
7月9日の和歌山市の市街地に対する大規模空襲により、和歌山の象徴・誇りであった和歌山城が炎上の末に焼失した。城内には国宝の白亜の天守閣をはじめとする多数の国宝や建築物などがあったが、本丸御殿といった建物は国宝の天守閣と共に燃えてしまった。なお戦後の1958年に、和歌山市民の熱意により天守閣は復元されている。
[編集] 著名な被災者
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