吉備津彦神社
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吉備津彦神社 | |
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所在地 | 岡山県岡山市一宮1403 |
位置 | -- |
主祭神 | 大吉備津彦命 |
社格等 | 備前国一宮・国幣小社・別表神社 |
創建 | -- |
本殿の様式 | 備前流造 |
例祭 | 10月15日 |
主な神事 | -- |
吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は、岡山県岡山市にある神社である。備前国一宮で、旧社格は国幣小社。
備前国と備中国の境にある吉備中山の麓に鎮座する。吉備中山の麓には同じ祭神を祀る備中国一宮の吉備津神社がある。
目次 |
[編集] 祭神
大吉備津彦命を主祭神とし、相殿に以下の神を祀る。
- 吉備津彦命 -- 大吉備津彦命の子
- 孝霊天皇 -- 大吉備津彦命の父
- 孝元天皇 -- 大吉備津彦命の兄弟
- 開化天皇 -- 孝元天皇の子
- 崇神天皇 -- 開化天皇の子
- 彦刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと) -- 大吉備津彦命の実兄
- 天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと) -- 孝昭天皇の子
- 大倭迹々日百襲比売命(おおやまとととひももそひめのみこと) -- 大吉備津彦命の姉
- 大倭迹々日稚屋比売命(おおやまとととひわかやひめのみこと) -- 大吉備津彦命の妹
- 金山彦大神
- 大山咋大神
[編集] 歴史
大化改新の後吉備国が備前・備中・備後に分割された後に、吉備国一宮であった吉備津神社より勧請したものとみられる。ただし、社伝では推古天皇の時代に創建されたとしており、吉備国分割以前より何らかの祭祀が行われていた所に大吉備津彦命を祀る社を作ったものと考えられる。
朝廷より篤く崇敬され、承和7年(780年)には一品の神階を受けている。中世以後は、宇喜多氏、小早川秀秋、池田氏など歴代の領主の崇敬を受けた。
ただし、905年から967年にかけて編纂された延喜式(延喜式神名帳)には、備前国の名神大社は安仁大社であるとされている。しかし一宮制が確立し名神大社制が消えると備前国の一宮は吉備津彦神社であるとされている。これは吉備津神社からの分祀により吉備津彦神社の創建が確立されたと同時に本来、安仁大社にあった一宮としての権利が吉備津彦神社に移ったとされる。
これは939年における天慶の乱において、藤原純友が反乱を起こした際に安仁神社は純友に味方し、一方で吉備津彦神社の本宮にあたる吉備津神社は官軍(朝廷)に味方したためという説がある。結果、純友は敗北。安仁神社は一宮としての地位と大社名を剥奪され、吉備津彦神社にその地位を譲る事となったとされる。
[編集] アクセス
[編集] 外部リンク
- 吉備津彦神社(公式サイト)
[編集] 関連項目
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