古賀稔彦
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古賀 稔彦(こが としひこ、1967年11月21日 - )は柔道家、日本体育大学助手、前全日本柔道女子強化コーチ(2005年11月末にて退任)。佐賀県多久市出身。柔道七段。血液型はA型。
男子 柔道 | ||
金 | 1992 | 男子 71kg級 |
銀 | 1996 | 男子 78kg級 |
- 柔道を習っていた兄の影響で小学1年生から柔道を始め、中学1年で上京。柔道のエリート私塾講道学舎に入門する。弦巻中学校から世田谷学園高等学校、日本体育大学に進み、在学中はそれぞれ数々のタイトルを獲得、怪我を克服しながら順調に成長する。
- 小柄な体からの切れ味鋭い一本背負投が得意技であることから「平成の三四郎」の異名をとった。
- 1992年、バルセロナオリンピック直前に吉田秀彦との乱取り中左膝に大怪我を負ったが、痛み止めを打ちながら見事金メダルを獲得、その姿は日本中に感動を与えた。
- 1996年、アトランタオリンピック直前の選考会で1本負けを喫した。しかし過去の実績から古賀は選出されて、銀メダルを獲得した。
- 2000年現役を引退し指導者に。「指導者・古賀稔彦」として全日本女子柔道チーム強化コーチを務めるかたわら、2003年4月からは子供の人間育成を目的とした町道場「古賀塾」を神奈川県川崎市高津区に開塾。
- コーチとして2004年のアテネオリンピックでは愛弟子である谷本歩実が金メダルを獲得、谷本が古賀に抱きついて喜ぶシーンが繰り返し放映された。
- 2005年、24時間テレビ(日テレ)の企画“百人掛け”を実施、72人で終了した(72勝0敗)。
- 兄は高校教諭。アトランタ五輪出場に際し、この兄を通じ地元の地主から”古伊万里の置物”をもらったが、実はただの有田焼であったことが2006年放送の「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京系列)で判明した。
[編集] 主な戦歴
- 1987年~1992年 - 全日本選抜柔道体重別選手権71kg級優勝
- 1988年~1992年 - 講道館杯71kg級優勝
- 1987年 - エッセン世界柔道選手権71kg級3位
- 1988年 - ソウルオリンピック柔道71kg級三回戦敗退
- 1989年 - ベオグラード世界柔道選手権71kg級優勝
- 1990年 - 全日本柔道選手権大会(無差別)準優勝(中軽量選手としては史上初)
- 1991年 - バルセロナ世界柔道選手権71kg級優勝
- 1992年 - バルセロナオリンピック柔道71kg級金メダル
- 1995年 - 幕張世界柔道選手権78kg級優勝
- 1996年 - アトランタオリンピック柔道78kg級銀メダル
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