古久保健二
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古久保 健二 (ふるくぼ けんじ、1964年6月23日 - ) は、昭和末期から平成期(1980年代後半-2000年代前半)の大阪近鉄バファローズ(入団時は近鉄バファローズ)に所属したプロ野球選手、現中日ドラゴンズコーチ。1982年ドラフト6位で近鉄に入団。ポジションは捕手。
[編集] 来歴・人物
入団当初は2軍生活が続いたが、1985年に初出場を果たす。打撃は得意ではなかったが、ブロックの良さと強気のリードには定評があり、一軍に定着した。1989年には山下和彦と日替わりで起用され、リーグ優勝に貢献した。ところが、翌1990年には光山英和に正捕手を奪われ、第2の捕手としての出場が続いた。1997年以降は的山哲也、藤井彰人などの若手捕手の台頭もあり1軍出場が激減した(現に2000年には5試合しか出場しか出ていない)。
また、盗塁阻止率が1割を切るなど苦戦を強いられ『今年が現役最後のシーズンか』と選手名鑑に書かれる有様だった。しかし、2001年には序盤から首位をキープしていたが、現役として1989年の優勝を知る唯一の選手であったためチームの起爆剤として梨田昌孝監督からの要請で再び一軍に定着。特に後半は岩隈久志との「親子バッテリー」などで壊滅状態の投手陣を立て直し、その年のリーグ優勝に大きく貢献し、同年の日本シリーズでもほとんどマスクをかぶった。1989年のシリーズは手首を骨折し出場することが出来なかったが、12年越しで日本シリーズに出場したことになる。
2002年、ホームラン3本を放つなど活躍しここ一番ではマスクをかぶっていたが同年限りで現役を引退した。翌2003年より近鉄の2軍コーチに就任。2004年、近鉄とオリックスとの合併が決まり退団。2005年より中日2軍コーチに就任。
[編集] 通算成績
- 943試合出場 打率.204 38本塁打 186打点