北九州監禁殺人事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北九州監禁殺人事件(きたきゅうしゅうかんきんさつじんじけん)は、2002年3月に北九州市小倉北区で発覚した監禁、殺人事件である。
家族に殺し合いをさせ、児童にまで殺人や遺体の解体を行わせており、世界的にもほとんど類をみない残虐な事件と言える。あまりもの残虐さに、第一審では、検察側は「鬼畜の所業」と容疑者男女を厳しく非難した。
目次 |
[編集] 事件の発覚
事件は、少女(当時17歳)が祖父の家に助けを求めてきたことから始まる。当初は男女2人による「少女への傷害と監禁事件」と思われたが、暴行を行ったと思われる男女が、容疑や名前も含めて完全黙秘を続け、身元もはっきりわからなかった。
その後、少女の証言により、2人の男女は少女の父親の知り合いで、5~6年前から4人で暮らすようになったが、暮らし始めて約1年後に父親が行方不明になり、その後は3人で暮らしていたことがわかる。
後日、別の場所にて4人の子どもが発見される。少女が世話をさせられていた模様。このうち、発見された双子の子どもの親は、ここに預けられていたことすら知らなかった。残り二人については後日、DNA鑑定で容疑者の子供と判明。
数日後、少女が自分の父親(当時34歳)は男女に殺されたと証言したことから、事件は大きく動くことになる。さらに、少女は、容疑者の女の父親(当時61歳)、母親(当時58歳)、妹(当時33歳)、妹の夫(当時38歳)、めい(当時10歳)、おい(当時5歳)の6人が殺害され、遺体は解体され、海などにばらまかれたと証言した。
警察側は、少女の証言を元に「殺害現場と思われる場所の配管」まで切り出し、DNA鑑定を行っているが、時間がたっていることと、なにより7人の遺体がすでに完全に消滅しているため、物的証拠が何もないという状態であった。
最後は、容疑者の女が自白することで、改めて事件の概要が判明した。
[編集] 事件の概要
少女および容疑者の女の証言によれば、事件の概要は次のとおりである。
容疑者の男女は、布団販売業を営んでいたが、二束三文の布団を高値で販売する詐欺的な商法や客を脅して無理やり布団を買わせる暴力的な商法が警察の知るところとなり、詐欺罪と恐喝罪で警察に指名手配された。そこで、容疑者の男女は北九州市内に潜伏し、少女と少女の父親と同居するようになるが、1996年2月、電気ショックを与えるなどの拷問を繰り返したり、食事を満足に与えないなどして少女の父親を衰弱死させた。容疑者の男は容疑者の女と少女に遺体の解体を命じ、遺体は海に投じられた。容疑者の男女は少女に度々、虐待を繰り返し、監視下に置いた。
その後、容疑者の男は、容疑者の女が少女の父親を殺したことを口実に、容疑者の父母および妹一家を恐喝し、消費者金融などから金を借りさせるなどして、金品を巻き上げた。やがて、容疑者の女の父母および妹一家が金を借りられなくなると、容疑者の男女は容疑者の父母および妹一家を監禁し、拷問によって自分たちの言うことを聞かせ、さらに互いが争うように疑心暗鬼に陥らせた。
1997年12月、容疑者の男は容疑者の女に命じて、女の父親に通電させ、父親は死亡した。容疑者の男は容疑者の女とその一族に遺体の解体を命じた。さらに度重なる通電によって奇声を発するようになった女の母親の殺害を女・女の妹・女の妹の夫に命じ、1998年1月、絞殺させた。さらに、度重なる通電によって耳が遠くなった女の妹に対して、容疑者の男は「おかしくなった」などと因縁をつけ、女の妹の夫と女のめいに殺害を命じ、1998年2月、絞殺させた。度重なる殺害や遺体の処理で妹の夫が衰弱すると、容疑者の男は浴室に女の妹の夫を閉じ込めて、1998年4月、衰弱死させた。
大人たちが全員死亡すると、容疑者の男は、容疑者の女のめいを脅して、容疑者の女と女の姪に兄弟である女の甥を殺させ(1998年5月)、その後は女の姪に度重なる拷問を加えて衰弱させ、女と少女に女の姪を1998年6月に絞殺させた。
遺体は全て解体された後、鍋で煮込まれ、海や公衆便所などに投棄された。
そのため、遺骨等を警察はほとんど回収できず、検察側は少女および容疑者の女の証言に依拠せざるを得なかった。また、容疑者の男は容疑者の女などに「片付けておけ」などと命じ、明確に殺害を命じていなかったことから、容疑者の男を殺人罪で裁くことが出来るのかが裁判で注目された。
[編集] 被害者の児童
容疑者の女の甥と姪は、大人たちの事情もわからないまま事件に巻き込まれ、殺害や遺体の解体を手伝わされた。それだけでも、恐ろしい出来事なのだが、容疑者の男は子どもたちにも通電による拷問を加え、監視下に置いていた。
そして、甥と姪にとっての父親(容疑者の女の妹の夫)が死亡すると、姪は「このことは誰にも言いません。弟にも言わせません」と容疑者の男に対してお願いし、自宅への帰宅を願い出ている。それに対し、容疑者の男は「死体をバラバラにしているから、警察に捕まっちゃうよね。弟が何もしゃべらなければいいけど、そうはいかないんじゃないかな。弟は可哀相だから、お母さんのところへ行かせてやる?」と暗に甥を殺すことを命じ、姪は甥に「お母さんのところに連れて行ってあげる」とうそをついて、自分の弟を絞殺させた。
その後、容疑者の男は「あいつは口を割りそうだから処分しなきゃいけない」などと容疑者の女に殺害をもちかけ、姪に満足な食事を与えず、通電を繰り返し、女と少女に絞殺を命じた。そのとき、少女は静かに横たわり、首を絞めやすいように首を持ち上げたという。
このようないたいけな児童まで、自分の祖父母や両親の殺害や遺体解体に参加させ、さらには姉に弟を殺させ、残った姉も容赦なく殺すといったやり方は前代未聞である。第一審判決では、この点について、「見逃せないのは、児童が犯行の巻き添えや痛ましい犠牲になっていることである。これらは犯行の残忍で冷酷な側面を如実に示している」と指摘している。
[編集] 裁判
2005年9月28日、福岡地方裁判所小倉支部において第一審判決がくだされた。裁判所は、容疑者の女と少女の証言がほとんど一致し、容疑者の女は自分にとって不利なことも進んで証言していること、一方、無罪を主張する容疑者の男の証言には一貫性がないことなどから、容疑者の男女が「少女の父、容疑者の女の父母・妹一家合計7人を殺害した」ことを認定した。
ただし、容疑者の女の父親に関しては「蘇生させようとした」ことから殺意はみとめられないとして「傷害致死」とし、それ以外を「殺人」と認定した。
裁判長は、容疑者の男女両名を「甚だしい人命無視の態度には戦慄(せんりつ)を覚える」「残酷、非道で血も涙も感じられない」「悪質さが突出し、犯罪史上まれに見る凶悪事件」と厳しく非難し、死刑の判決を下した。容疑者の男は即日、控訴した。
[編集] 参考文献
- 消された一家―北九州・連続監禁殺人事件(豊田正義著・新潮社)
- なぜ家族は殺し合ったのか(佐木隆三著・青春出版社)
[編集] 外部リンク
- 北九州市の監禁・殺人事件
- マイタウン福岡・北九州-朝日新聞地域情報(容疑者の男のマインドコントロールについて分析している)