佐木隆三
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佐木 隆三(さき りゅうぞう(本名:小先良三)、1937年4月14日 - )は小説家、ノンフィクション作家、北九州市立文学館館長。近年は法廷のルポルタージュで広く知られる。旧朝鮮咸鏡北道吉州面生まれ(現在の北朝鮮。2006年に核実験が行われたとされる地域である)。
[編集] 来歴
- 両親とも広島県出身で父は農家の出。一旗あげようと田畑を売り払って朝鮮に渡り佐木も朝鮮で生まれた。
- 1941年 銀山の所長をしていた父が呉の海軍に召集されたため、一家で日本に引揚げた。父の郷里で広島市から北へ40km、中国山地の山あいの寒村、広島県高田郡小田村(現・安芸高田市甲田町)で育つ。
- 1945年
- 1950年 母の親戚を頼り八幡市(現・北九州市八幡東区)へ移る。
- 1956年 福岡県立八幡中央高校卒業後、八幡製鐵(現・新日本製鐵)に就職。同人誌をはじめ、小説を書き始める。
- 1960年 八幡製鐵労組(労働組合)の活動をはじめ、安保闘争の直前から日本共産党に入党、組合活動を活発化させるが、まもなく共産党を離れ、共産党を批判する小説を書く。
- 1963年 「ジャンケンポン協定」で新日本文学賞を受賞し、作家として評価される。
- 1964年 八幡製鐵を退職、以後作家活動に専念する。
- 1971年 沖縄へ引越し2度目の結婚。コザ市の外人アパートに住み、沖縄復帰闘争の活動家たちとかかわり復帰問題に深く関与した。
- 1973年 12年住んだ沖縄を離れ千葉県市川市に移る。
- 1976年 実在の連続殺人鬼をモデルとした「復讐するは我にあり」で第74回直木賞を受賞。
- 1979年 「復讐するは我にあり」が松竹で映画化。今村昌平監督、緒形拳主演でこの年の映画賞を独占。佐木の名も広く知られることとなった。
- 1999年 北九州市門司区に移る。
- 2006年 北九州市立文学館館長に就任。
近年は、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件やオウム真理教事件など、様々な事件の裁判に積極的にかかわっている。