加納城
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加納城(かのうじょう)は、岐阜県岐阜市加納丸の内にあった平城。国指定史跡。
[編集] 概要
文安2年(1445年)に土岐氏の家宰の斉藤利永によって築城されたものがあるが、これは天文7年(1538年)に廃城となっている。その後慶長6年(1601年)に岐阜城が破却され、その代わりとして築城された。建材は岐阜城のものが用いられ、岐阜城天守を二の丸御三階櫓として利用したと伝えられる。加納城は加納藩の藩主の居城となる。慶長8年(1603年)に奥平信昌が入った後、奥平氏の居城となった。 寛永9年(1632年)に奥平氏が嫡子がいない為に改易されると大久保忠興が入城、一時的に城主となる。その後の寛永16年(1639年)に戸田光重が入城、三代に渡って加納城主を務めるが、移封され、宝永8年(1711年)に安藤信友の居城となった。さらに時代が下って宝暦5年(1755年)に永井信陳が加納藩主となり、明治に至るまで永井氏の居城となった。
明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となり、破却された。現在では加納公園に石垣、堀跡がわずかに残るのみである。昭和58年(1983年)10月28日、国の史跡に指定された。