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別所 治定(べっしょ はるさだ、永禄4年(1561年) - 天正7年(1579年))は戦国時代後期・安土桃山時代の人物。別所安治の三男。兄に別所長治と別所友之がいる。通称小八郎。
別所家の急先鋒であり、主に伏兵隊に任じられた。 1579年、兄の命により叔父・別所吉親らとともに奇襲部隊兵800を率いて秀吉勢を平井山襲撃したが失敗、敗死した(「別所長治記」)。享年19。 討ち取ったのは羽柴家臣・樋口雅兼(政武とも)となっている。
1466年に利神城を奪った別所治定とは全くの別人である。
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