八島有美
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八島有美(やしま ゆみ、1972年4月13日 - )は、神奈川県横浜市磯子区出身の元女子プロボクサーで、初代JWBC日本フライ級王者。JWBC公認する初のボクシングトレーナー。ライカらとともに初期の日本女子ボクシング界を盛り上げた。
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[編集] 来歴
[編集] 下積み時代
駒澤大学3年時に大道塾で空手を始め、女子では唯一となる横浜北支部所属弐段を持つ。卒業後、女優を夢見て映画・テレビなどにも出演していたが、その後ゴールドジム横浜馬車道でボクシングを始め、1999年11月にはアマチュア大会出場。
[編集] プロデビュー
2000年5月8日、布施雪野戦でプロデビュー。3RTKO勝ちで初陣を白星で飾る。同年12月12日、3戦目にして金仁淑(韓国)を相手に初国際戦を行い、4RTKO勝ちを収める。2001年3月2日、初代日本女子フライ級チャンピオントーナメントに参加。準々決勝で高野由美に4R判定2-0で勝ち、同年7月20日に行われた準決勝では布施雪野を4R判定3-0で退け、初代フライ級王座に挑戦する権利を得る。同年10月10日、土田奈緒子を相手に初代フライ級王者決定戦を行うが、10R判定で引き分けとなり、翌年再び決定戦を行うことになる。
[編集] 初代日本フライ級王者に
2002年2月3日、土田奈緒子を10R判定で下し、JWBCが認定する初代日本フライ級王者となる。2003年1月24日に、韓国ソウルのチャムシル学生体育館にて行われた日韓フライ級ス-パ-マッチに出場し、現役韓国フライ級王者の李仁栄と対戦。オーバーワークによってひいた風邪をこじらせ、前回の試合で負傷した箇所が完治しないまま出場したためか、全く本来の動きが出来ず8R判定負けを喫する。2002年4月29日に東京の北沢タウンホールで、現役日本ミニフライ級王者のマーベラス森本と対戦。8R判定0-2で敗北。
2002年7月17日に大道塾の主催する「THE WARS 6 ~新たなる胎動~」の「日本対フランス・ゴールデントロフィー対抗戦(WARSルール)」に参戦。ステファニー・デュカステルと55kg契約で対戦。2R2:15に腕ひしぎ膝固めで一本負けを喫する。本人の弁によれば、ブレイクと勘違いして力を抜いたところで関節を極められたという。2004年4月4日に東京のゴールドジムサウス東京アネックスで現役日本ミニフライ級王者の袖岡裕子と2分2Rのエキシビションマッチを行う。
[編集] 王座陥落、引退へ
2004年5月23日、柴田早千予戦で2度目の防衛に挑むも、判定負けし王座から陥落。試合直後に倒れ、急性硬膜下血腫と診断される。一命は取り止めたものの、選手生命を絶たれた。翌年3月13日引退。2005年12月、自身の半生を描いた舞台「ボクサー有美・石の拳」を自ら演じる。
現在はJWBC初のトレーナーとなり、渡嘉敷勝男のジムで後進の指導に当たっている。
[編集] 戦績
- アマチュアボクシング: 不明
- プロボクシング: 14戦 9勝 3KO 3敗 2分
[編集] 獲得タイトル
- 初代JWBCフライ級王座(1度防衛)
[編集] 外部リンク
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