八千代松陰高等学校
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八千代松陰高等学校 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
創立者 | 山口久太 |
設立年月日 | 1978年(昭和53年) |
創立記念日 | |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制の課程 |
学科 | 普通科、IGS(国際教養)コース |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
分類 | 進学校 |
校訓 | |
教育方針 | さわやか・はつらつ・ひたむき |
所在地・連絡先 | |
千葉県八千代市 | 〒276-0028 |
千葉県八千代市村上727 | |
電話番号 | 047-482-1234 |
FAX番号 | 047-485-8864 |
外部リンク | 公式サイト |
八千代松陰高等学校(やちよしょういん こうとうがっこう)は千葉県の私立学校。千葉県八千代市に所在。校名は幕末の思想・教育家、吉田松陰に由来。略して「松陰」や「八千代松陰」と呼ばれる事が多く、生徒は「松陰生」と呼ばれている。
目次 |
[編集] 沿革
- 1978年、日本の教育界・スポーツ界の重鎮、山口久太が、理想の教育を目指して八千代松陰高等学校(学校法人八千代松陰学園)を創立。理事長兼校長には山口久太が、副理事長には江口一雄(元衆議院議員)が就任。
- 1979年、創立2年目にして甲子園出場を果す。
- 1982年、八千代松陰中学校が併設され、中高6ケ年一貫教育がスタート。
- 1988年、ニュージーランドのトリニティスクールズと姉妹校協定を結ぶ。
- 1990年、大型コンピュータを導入。
- 1991年、高等学校にIGS(国際教養)コースが設置され、海外語学研修がスタート。
カフェテリアが「つなしま」からダイエー系「キャプテンクック」になる。
- 1992年、オーストラリアのオールセインツカレッジと姉妹校協定を結ぶ。
- 1993年、山口久太が逝去し、江口一雄が理事長に就任。
- 1994年、大韓民国の培英高等学校・中学校と姉妹校協定を結ぶ。
- 1995年、全教室に冷暖房完備。坂本竜馬像が何者か(生徒数名)によって隠される。
- 2004年、山下章校長が副理事長に昇格。三岡稔廸が校長に就任。これ以後、「第三次黄金時代」という言葉が多用されるようになる。
- 2007年、創立30周年記念事業として校舎・施設を全面的に建て替え(予定)
2006年9月時点では第一体育館、B棟(主に一年生が使用)、C棟(主に三年生が使用)が完成済みであり現在新校舎が建築中である。
[編集] 校風
「さわやか・はつらつ・ひたむき」をモットーとし、学期末には各学年から一人ずつ「さわやか賞」「はつらつ賞」「ひたむき賞」が選出され、授与される。厳格な校則で知られ、「八千代少年院」との異名まで持つ。近年は校則も緩くなってきているが、依然として頭髪検査などが存在し、女子の制服のスカートも膝下が原則である。他に教職員が各駅(主に勝田台、八千代台、佐倉、京成津田沼)に待機して下校指導が行われることがある。その教職員に発見された場合生徒手帳を提出し、後日担任から受け取ることになる。また、学校の伝説として学校近辺の梨畑の梨を「盗ったら停学食ったら退学」というものがあるが実際に処罰された事があるかどうかは定かではない(近隣の千葉英和高等学校・千葉県立八千代東高等学校にも同様の伝説あり)。
生徒数は大変多く、高校では一つの学年に600~800人前後の生徒がいる。例年、普通科は卒業時の生徒数が入学時の生徒数と比べて約50人程減っているため1クラス分の人数は高校三年間を我慢できずに退学、自主退学に追い込まれたもよう。その大半は松陰中出身者と言われている。クラス数も1学年15~20クラス前後になるため、修学旅行は前半と後半にわかれ、日程を一日ずらして行なわれる。ちなみに修学旅行は吉田松陰ゆかりの地、萩を訪れる。中学校の生徒や教職員・事務員を含めれば、学校の敷地内に3000人近い人数がいるのではないかと推測される。尚、中学校の生徒は1学年300人弱であり、全体で1000人程になる。
毎年9月上旬に「松陰祭」と呼ばれる文化祭が行なわれるが、あくまでも“文科系クラブの発表の場”という形で行なわれ、クラス単位での活動はなく、出店などもないことから、今一つ盛り上がりに欠けることは否めない。2006年度の松陰祭では運動部の公開練習が導入され、それなりに好評だった。ちなみに学校の規則でクラブは全員が強制参加であり、「必修クラブ」という単位が存在し、一般の高校の6時間目にあたる時間をクラブにあてる時間もある。
[編集] 主な特徴
授業ごとにその能力に応じてクラスを編成する「レッスンルーム制」(習熟度別クラス)を導入している。具体的には、毎回の定期テストごとに点数順に上位のクラスから名簿に名前が登録され、学期ごとにレッスンルームのクラスを丸ごと変える制度であり、そのためにテストや学期が変わるたびにクラスのメンバーが異なる。但し、保健体育や芸術科などの一部の科目や、IGS(実質上の特進クラス)にはレッスンルームの入れ替えがない。個人の能力に応じた授業が受けられる点ではメリットだが、成績が安定しない生徒にとっては一年に何人もの先生から授業を受ける事になるため、歴史や数学など、教師のクセが出やすい科目に関しては非効率的との意見もある。
しかし、現実には時間とともにおのずと学力の位置は確立してくるため、テストで入れ替えてもメンバーはそんなに変わらないことが多く、生徒同士も顔見知りになる。たまに成績があがり、上位クラスに移動になると、友人がいないというさびしいことになることある。なお、下位レッスンルームには、スポーツ推薦入学者が多い。
このような制度をとっているため、便宜的にクラス(ホームルーム)は編成されるが、他の高校に比べてその意味は薄いといえる。実質的に顔を合わすのは朝と帰りとホームルームの時間だけ、というクラスメイトも多く生じる。ただし、IGSコースだけは3年間同じメンバーで、授業もほとんどが固定であるため、体育祭のときに発揮する団結力が違ったりもする。ちなみに体育祭は特に3年生が盛り上がり、1年生はだれていることが多い。
クラブ活動には非常に力を注いでおり、校内にグラウンドがいくつもある。 最近では新体育館が完成しており、スポーツをする生徒にとっては非常に良い環境がととのっている。
[編集] 学力
生徒の学力については、「東大からニートまで」といわれるほど非常に幅が広く、一概にこうとは言えない。ただし、入学時の段階から、県内の有名進学校を受験する際、滑り止めとして併願推薦でこの高校に入学してくる生徒が多いため、それなりに進学校としてのムードは存在する。上位レッスンルームの常連からは、毎年国立大学や有名私立大学への進学も見られるが、全体の生徒数から見ればその数はごく一部である。浪人の割合も多い。専門学校や就職を決める生徒も見受けられる。
[編集] 通学
学区域は非常に広く、千葉県の北西部ほぼ全域から生徒が集まる。特に八千代市、船橋市、習志野市、柏市、市川市、佐倉市、成田市、印西市から通う生徒が多い。
主な通学手段としては、自転車はもちろんのこと、京成線の勝田台駅から専用のバス(東洋バス)で通学する者が多い。人数が人数なため、朝のバス停には生徒が殺到し、駅前からバス停まで八千代松陰の生徒で一直線に埋まる現象が起こる。(同じくバスを利用している英和高校の生徒の列は長くても15メートル程度)雨の日や交通事故などが発生した際、バスの運行に乱れが生じ、大半の生徒が一時間目の授業に間に合わない状況になるため、時間割繰り越し(始業繰り下げ)などの措置がとられることもある。
また、千葉駅・柏や千葉ニュータウンなどからは直接通学バスが往復しており、これを使う生徒も多い。ほかに会員バスという通学手段もある。
[編集] 近隣の学校
- 千葉英和高等学校
- 千葉県立八千代東高等学校
- 八千代市立村上北小学校
- 八千代市立阿蘇中学校
[編集] 八千代松陰出身の有名人(生年月日順)
- 田中美奈子(女優・タレント)落語部・テニス部
- 加藤博人(元プロ野球選手)
- 藤田和之(プロレスラー・総合格闘家)
- 江崎史子(女子柔道・ソウルオリンピック銀メダリスト)
- 度会博文(プロ野球選手)
- 新明嘉規(元力士)弓取を務めていた
- 朝日美穂(歌手)
- 大部由美(女子サッカー選手、元日本代表主将)
- 多田野数人(メジャー(マイナー)リーグ投手)
- 山田千鶴(グラビアアイドル・タレント)
- 星野昇子(モデル)