偶像崇拝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)とは、神像やカリスマ的な人間、超常的な自然構造物などの偶像を崇拝する行為のこと。この用語の背景には、偶像を崇拝することは神ではないものを崇拝する行為であるというユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの「アブラハムの宗教」の思想があるため、偶像崇拝という語はそういった信仰の文脈を離れては意味をなさない。そういった考えの保持者以外は使用しないのが無難である、との意見もある。
偶像を崇拝することは、唯一絶対な存在である神ではなく、人間や自然が作った物を崇拝する行為であるとして、ユダヤ教、キリスト教やイスラム教では罪として禁止している(出エジプト記 20:4; ヨハネ第一 5:21)。
ただし、なにを偶像崇拝とみなすかは宗教によって見解が分かれる。礼拝対象を像そのものと見るか、像の表現するものとみるかで、偶像崇拝かどうか判断がわかれるからである。ユダヤ教・イスラム教は前者の立場をとり、キリスト教は一般に後者の立場を取り、聖像を許容する。しかし時代・教派によってはキリスト教においても聖像と偶像の間に差別を設けないことがある。もっとも代表的な例として聖像破壊論争を挙げることが出来る。また、キリスト教より宗教画像について厳格な立場を取る宗教でも、かならずしも聖像が全否定されるわけではない。紀元前後のユダヤ教はシナゴーグ装飾において自由な描出を許していたことで知られ、イスラム教にもシーア派などでは聖像使用に寛容な傾向がみられる。
また、これらの宗教は、他宗教の偶像崇拝に対してきわめて否定的であり、偶像の破壊に対して宗教的に重要な意味付けが与えられることがある。イスラム教の場合、イスラム共同体(ウンマ)がマッカ(メッカ)を征服したとき、預言者ムハンマドがカアバ神殿に置かれていた神像を偶像として自ら破壊したといわれる。
現代における聖像否定の極端な例は、アフガニスタンのターリバーン政権によるバーミヤーン石仏の破壊である。これには、全世界からターリバーン政権への非難が集中した。が、さらに追い討ちをかけるような事が起こっている。ターリバーン政権はこの破壊行為の後、「バーミヤーンの石仏の破壊行為が偶像の破壊なら、博物館に展示されているヒンドゥー教の神像も総て破壊しなければならないではないか」とイスラム圏諸国からも非難された。これに対してターリバーン政権は、「アフガニスタン国内に、仏教徒はいないが、ヒンドゥー教徒はいる。信教の自由を保障するためにも、ヒンドゥー教の神像は破壊できない」と返答したため、全世界からますます怒りと顰蹙とを買う羽目になった。この事からも、聖像破壊運動そのものが、御都合主義的な要素を含んでいる事は明白である。
ターリバーン政権によるバーミヤーンの石仏の破壊行為からもわかるように、偶像崇拝の多神教の典型例として、よく仏教があげられる。が、仏像が仏教美術ならびに崇拝の対象として成立したのは一説には紀元後1世紀である、とされている。釈迦の生前及び入滅後しばらく(と言っても、死後200年後から500年後の間である)は釈迦の姿を彫像で表す事は、禁じられていたからである。