佐野周二
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佐野周二(さのしゅうじ、本名:関口正三郎(せきぐちしょうざぶろう)、1912年11月21日 - 1978年12月21日)は、昭和初期から後期(1930年代後半~1970年代)の俳優。
[編集] 来歴・人物
東京市神田区東紺屋町(現在の東京都千代田区神田東紺屋町)に、鳶職の息子として生れる。1933年に立教大学経済学部予科を卒業後、1935年に義兄の経営する神戸の貿易商「アサヒ商会」に入社する。
同年、松竹の俳優募集に応募し、1000人の中から1人合格し、1936年松竹に入社。「大船撮影所1期生」として、同年の佐々木康監督の『Zメン青春突撃隊』で俳優デビュー。立教大学の先輩上原謙とともに、幹部スター候補生として、主役格で使われ、1937年には早くも準幹部に昇格し、島津保次郎監督の『婚約三羽烏』で、上原謙、佐分利信とともに「松竹三羽烏」として共演し、スターの地位を決定的にした。1938年には幹部に昇格し、名実共に松竹を背負ってたつ存在となった。
その後、人気絶頂だった1941年から、終戦まで3度応召される。その間もその間隙を縫うように、野村浩将監督、李香蘭主演の『蘇州の夜』、小津安二郎監督の『父ありき』などの作品に出演するなど、人気を保ったが、私的には妻と長女をなくし試練の時となった。
戦後になっても、二枚目スターとして活躍し、重厚な演技を持ち味に、木下恵介監督の『お嬢さん乾杯!』、『カルメン故郷に帰る』、吉村公三郎の『春雪』などに出演する。特に、小津安二郎の『風の中の牝鶏』では田中絹代と共演し、子供の養育費のために一度だけ売春した妻への、怒りに苦しむが愛情を取り戻していく帰還兵を好演し新境地を切り開いた。
1953年にはフリーとなり、五所平之助の『大阪の宿』や成瀬巳喜男の『驟雨』などに出演し、演技派俳優として確固たる地位を確立する。1954年には、俳優の生活安定を図る目的で「まどかグループ」を佐田啓二、桂木洋子、三井弘次らと設立し、映画制作も手がける。1965年以降はテレビにも活躍の場を広げ、主に温厚な父親役で親しまれた。
1978年12月21日死去。享年66。