佐藤竜雄
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佐藤 竜雄(さとう たつお、1964年7月7日 - )は、日本の神奈川県中郡大磯町出身のアニメーション監督・演出家。
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[編集] 経歴・人物
高校時代は陸上競技の有力選手だったが、2年の時に故障してしまい、これがきっかけで早稲田大学法学部進学後に友人に誘われてアニメーション研究会へと入り、アニメ界へ方向転換した。現在でも筋力トレーニングは欠かせないと言う。
大学卒業後、亜細亜堂に動画担当として入社、後に演出助手、更に演出に転じる。1994年放送の『赤ずきんチャチャ』で注目され、大地丙太郎・桜井弘明らとともに「チャチャ三羽ガラス」と呼ばれるようになる。現在でもこの2人とは親交が深い。1995年の『飛べ!イサミ』で初監督を務める。1997年に亜細亜堂を退社し、以後フリーで活動している。2001年の『ねこぢる草』で、文化庁メディア芸術祭優秀賞、モントリオールファンタジア映画祭最優秀短編賞・批評家賞を受賞。
彼が監督を務める作品は、原作の無いアニメオリジナル作品であることが多く(そのためか、大地や桜井と比較すると作品数が少ない)、また、登場人物が非常に多いことでも知られる。SF系作品であっても、どこか和風な雰囲気が醸し出されているということも特徴として挙げられる。また、自作・他作を問わず、毛筆によるタイトルロゴを作品に取り入れることも多い。
[編集] 作品リスト・略歴
- 1989年 『がきデカ』(監督) ※補足参照
- 1990年 『ちびまる子ちゃん(第1期)』(演出・絵コンテ) - 初演出
- 1994年 『忍たま乱太郎(第1期)』(演出)
- 1994年 『赤ずきんチャチャ』(演出・絵コンテ)
- 1994年 『リカちゃんとヤマネコ 星の旅』(監督) ※補足参照
- ※この作品は劇場公開用作品として制作されたがお蔵入りになった。なお、1997年にソフト化している。
- 1995年 『飛べ!イサミ』(監督・演出・絵コンテ) - 初監督
- 1996年 『機動戦艦ナデシコ』(監督・脚本・演出・絵コンテ) - 初脚本
- 1997年 亜細亜堂を退社し、フリーになる
- 1998年 『劇場版機動戦艦ナデシコ The prince of darkness』(監督・脚本・演出)
- 1999年 『彼氏彼女の事情』(脚本)
- 2000年 『風まかせ月影蘭』(題字)
- 2001年 『ねこぢる草』(監督・構成・脚本)
- 2001年 『学園戦記ムリョウ』(原作・監督・脚本・シリーズ構成) - 初原作
- 2002年 『あずまんが大王』(絵コンテ)
- 2003年 『宇宙のステルヴィア』(監督・シリーズ構成・絵コンテ・演出)
- 2003年 『獣兵衛忍風帖 龍宝玉篇』(監督・絵コンテ)
- 2003年 『デ・ジ・キャラットにょ』(題字)
- 2004年 『妄想代理人』(絵コンテ)
- 2005年 自らの公式サイトで『機動戦艦ナデシコ』『宇宙のステルヴィア』の続編制作中止を発表。原因については多く語られておらず、ただ「ナデシコやステルヴィア自身に問題はなかった」という言及だけがされたため、ファンは大混乱した。
- 2006年 公式サイトで2006年秋放送予定の新作『TOKYO TRIBE2』を発表。
[編集] 補足
- 初監督作である『飛べ!イサミ』以前にも「監督」としてクレジットされている作品がいくつか存在するが、これらの作品は実際の監督が別の人物であったり、お蔵入りになったりしていたというのが実情であるため、一般的には佐藤の監督作品としては認知されていない。
- 以前、NHK出版が刊行していた雑誌『放送文化』で自身の作品を振り返った『佐藤竜雄のワタシ流絵コンテ』というタイトルのコラムを連載していたことがある。
- 自身の原作・監督作品『学園戦記ムリョウ』のオフィシャルサイト上で、「監督メモ」として詳細な人物・世界観設定や絵コンテに近い画面図などを順次公開しており、上記のコラムも含め「製作者サイド」をファンに見える形で提示するのも特徴である。