佐竹雅昭
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基本情報 | |
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本名 | 佐竹 雅昭(さたけ まさあき) |
あだ名 | 世紀末覇王 さたやん 掟破りの空手家 |
階級 | ヘビー級(ISKA) |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1965年8月17日 |
出身地 | 日本国、大阪府、吹田市 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | フルコンタクト空手 |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | 33 |
勝ち | 19 |
KO勝ち | 13 |
敗け | 9 |
引き分け | 5 |
無効試合 |
佐竹雅昭(さたけ まさあき、男性、1965年8月17日 - )は日本の空手家。大阪府吹田市出身。関西外国語大学卒業。K-1を人気スポーツにした一番の立役者。90年代に空手、K1の他リングスのような格闘プロレス、映画主演、バラエティ番組のレギュラー等で大活躍。昔から喧嘩が強く中学では有名な番長だった。
身長185cm、体重100kg。現在は総合打撃道という新武道を設立。佐竹道場の総長になる。
闘志天翔という造語をつくった。
多才な趣味を持つ事でも知られており、特にゴジラなど怪獣映画の大ファンとして知られている。その中でもゴジラについては「怪獣大戦争」のメインテーマ(怪獣大戦争マーチ)を入場テーマにするほどの熱烈なファンである。また、「爆竜戦隊アバレンジャー」でも格闘家の役(ただしその正体はトリノイドであった)でゲスト出演も果たした。また、1992年から94年にかけて、佐竹本人を主人公とした実録漫画となりの格闘王(絶版・全10巻)が、週刊少年チャンピオンで連載された。
目次 |
[編集] 来歴
- 1993年7月30日 ドン・中矢・ニールセン(アメリカ)との王座決定戦で1R2:30 TKO勝ち
- 1993年12月19日 東京、両国国技館で行われたK-2 GRAND PRIX93 風林火山“山の章”に参戦。スペシャルマッチ(3分5R)KICK世界スーパーヘビー級&ISKAオリエンタル世界ヘビー級王座決定戦でジェフ・フォーランスを2R1分28秒TKO勝ちし、両王座獲得。
- 1993年9月4日 佐竹の持つUKF世界ヘビー級タイトルとスタン・ザ・マン(オーストラリア)の持つWKA世界スーパーヘビー級タイトルのダブルタイトル戦で判定3-0勝ち
- KO負けを恐れずに相手に特攻して派手に散るスタイルにこだわっていたせいか、パンチドランカーの症状が深刻に出始めていた。石井和義館長にはこの事を口外するなと言われ、1999年K-1GP緒戦の武蔵戦の疑惑の判定負けの後の「石井館長との激しい口論事件」とともに、佐竹が不信感を理由にK-1から離脱した要因になったとも考えられている。
- 前田日明を慕っており、前田の引退試合での対戦相手であったアレクサンダー・カレリンが来日しないという噂が事前に流れた時、対戦相手に立候補していた。
- 2000年よりPRIDEに転戦するが、総合通算戦績1勝8敗1分と振るわず。2002年12月31日の吉田秀彦戦を最後に、現役を退いた。現役引退後は京都に総合打撃道という道場を構えて総長をやっている。
- K-1主催のプロレスイベント、『W-1』に「SATA...yarn」として参戦するが、あまりのギミックの酷さにファンから大顰蹙を買った。
- 引退後、自著「まっすぐに蹴る」で、正道会館の内幕を暴露し、物議を醸した。
- ミスター士道館と言われた村上竜司に「あいつは化けもの」と言わしめたことがある。
- PRIDE参戦時代には「怪獣王国」という格闘チームを主催。本人以外の唯一所属選手であるジャイアント落合(故人/落合博満の甥)は「国王」と呼んでいた。佐竹のPRIDE離脱により落合も路頭に迷うこととなる。そして、プロレス正式参戦前の練習中に脳障害で死去。
[編集] 戦績
- 空手:
- USA大山空手vs正道空手5対5マッチ~VSウィリー・ウィリアムス戦3-0判定勝利(1991)
- リングス
- 東京ベイNKホール大会「回天」佐竹雅昭vsジェラルド・ゴルドー 反則勝(1992)
- 尼崎大会「息吹」佐竹雅昭vsフレッド・オーストロン KO勝利(1992)
- 広島大会「雷」佐竹雅昭vsヘルマン・レンティング KO勝ち(1992)
- 有明大会「光臨」佐竹雅昭vsコップスJr。KO勝ち(1992)
- 宮城大会「獅子吼」佐竹雅昭vsウィリー・ピータース 引分(1992)
- 大阪大会「颯」佐竹雅昭vsピーター・ウラ KO勝利(1992)
- 横浜アリーナ大会「礎」佐竹雅昭vsロブ・カーマンのグローブマッチ。引き分け(1992)
- 名古屋大会「メガバトルーナメント'92(1回戦)」佐竹雅昭vs長井満也。(佐竹KO勝ち)(1992)
- Mixルール(異種格闘技ルール)
- 東京体育館「格闘技オリンピックⅠ」VSモーリス・スミス 引き分け(1992)
- キックボクシング(K-1含む):33戦 19勝 13KO 9敗 5分
- 格闘技オリンピックII VSアマッド・モハメッド 佐竹1RKO勝利。
- 格闘技オリンピックIII~カラテワールドカップ'92。佐竹雅昭VSピーター・アーツ 引分(1992)
[編集] 獲得タイトル
- 空手
- 第3回全日本空手道選手権大会第4位(1984)正道会館主催
- 第4回全日本空手道選手権大会準優勝(1985)正道会館主催
- 第5回全日本空手道選手権大会準優勝(1986)正道会館主催
- 第6回全日本空手道選手権大会優勝(1987)正道会館主催
- 第7回全日本空手道選手権大会優勝(1988)正道会館主催(2連覇)
- 第8回全日本空手道選手権大会優勝(1989)正道会館主催(3連覇)
- 第8回ストロングオープントーナメント重量級優勝(1988)士道館主催
- 第1回リアル空手トーナメント準優勝(1988)
- 第2回リアル空手トーナメント優勝(1989)
- 第1回トーワ杯カラテジャパンオープントーナメント選手権大会優勝(1992)
- 第2回トーワ杯カラテジャパンオープントーナメント選手権大会優勝(1993)
- カラテワールドカップ'93優勝(1993)
- キックボクシング(K-1)
[編集] 芸能活動
[編集] 映画
- 1995年07月15日 1・2の三四郎(主演)東宝
- 2004年04月25日 極道甲子園(映画)RIKIプロジェクト
[編集] テレビドラマ
- 金田一少年の事件簿「金田一少年の殺人」(針生聖典役)
[編集] テレビアニメ
[編集] 特撮
- 爆竜戦隊アバレンジャー(ヒルリンドウの声、及び人間体役)
[編集] ラジオ
- 佐竹・林原の覇王塾 (以降、「-覇王塾F」→「-無法塾」→「-阿呆塾」とタイトル変更が番組終了まで続いた)
- 佐竹雅昭の暁の黒海老団
[編集] 逸話
[編集] 外部リンク
[編集] 関連記事
前優勝者 初大会 |
第1回トーワ杯カラテジャパンオープン優勝 1992年1月30日 |
次優勝者 佐竹雅昭 |
前優勝者 佐竹雅昭 |
2トーワ杯カラテジャパンオープン優勝 1993年1月31日 |
次優勝者 後川聡之 |