佐竹義盛
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佐竹 義盛(さたけ よしもり、1365年(正平20年/貞治4年) - 1407年10月22日(応永14年9月21日))は南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。佐竹氏の第11代当主。父は第10代当主・佐竹義宣。母は河越氏の娘。妻は江戸氏の娘。子に佐竹義人妻、那須資重妻。常陸守護。左馬助。
1389年、父・義宣の死により家督を継ぐ。佐竹氏が鎌倉公方より関東八屋形に任命されたのは義盛が当主の時代にあたる。1399年、鎌倉に多福寺を建立し、若くして入道して多福寺殿と号した。男児に恵まれず、弟の佐竹義有は病弱であったため、関東管領上杉憲定の次男・義憲(佐竹義人)を養嗣子(婿養子)として迎えた(養子を迎えたのは義盛の没後だったとも)。応永14年(1407年)9月21日、43歳で死去し、後を養嗣子の義憲(義人)が継いだ。