伊藤政則
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤政則(いとう せいそく、本名はまさのり、男性、1953年7月10日 - )は、日本の音楽評論家。マリオネットミュージック社長。最終学歴は専修大学卒業。
目次 |
[編集] 来歴
- 岩手県花巻市出身。サークルに没頭するあまり専修大学を8年かけて卒業後、音楽業界へ。ヘヴィメタル・ハードロック(HM/HR)を専門とし、日本におけるこのジャンルのパイオニア的存在。ヘヴィメタルを中心に扱うラジオパーソナリティ、またヘヴィメタル専門誌である『BURRN!』の編集顧問としても知られる。
[編集] 人物
- いわゆるハガキ職人だったことからラジオ業界との縁が深く、70年代中期ニッポン放送の深夜番組「オールナイトニッポン」二部にレギュラーでカッコマンとして出演。音楽だけでなく爆笑ネタ、お色気ネタを数多く作り女子大生やOLに人気があった。
- 音楽誌への執筆やFMラジオでのDJ活動を通じ、70年代後期から世界のヘヴィメタル事情を逸早く日本に紹介した。特にジューダス・プリーストへの心酔ぶりは有名である。
- HM/HRの業界人として語られることが多いがプログレッシヴ・ロックへの造詣も深く、ピンク・フロイドの箱根での初来日野外ライブを見たことを今でも自慢している。
- アイアン・メイデンやボン・ジョヴィ、メタリカを始めとした、数多くの世界的なバンドと交流があり、「Masa-Ito(本名に由来)」の愛称で親しまれている。
- 意外にも『夕やけニャンニャン』の水曜日のレギュラーとして出演していた時期がある。この80年代中期にはニッポン放送の番組『TOKYOベストヒット』のパーソナリティを水島かおりとともに務めており、おニャン子クラブのメンバーも出演していた。当番組においては、メタル色をあえて薄め、いわゆるヒットチャート洋楽を取り上げたり、アイドルがゲストとして出演したりしていたため、「メタルの伝道師」を望む層には不評であったが、「カッコマン」時代の軽妙なトークを復活させたため、伊藤の意外な一面を見てファンになった者も少なくない。
- 中学時代は吹奏楽部でトロンボーンを担当した経験を持つが、評論の際は音楽性についての知識・見識は深くなく、抽象的・曖昧な表現が多い。そのため、マネージメント面からの解説・分析で補っている。
[編集] 活動
- ライナーノーツも多く執筆しており、定評がある。とりわけ初期のジューダス・プリースト、タイ・フォンなどのレコードにおける熱い想いが滾る文章は、今も伝説として語り継がれている。
- DJを務めるラジオ番組では、独占ロングインタビューや新曲の世界初オンエアがしばしばあり、また来日バンドのライブチケット番組先行予約には、関係者席を除けば最も良い席が用意されるため、深夜番組が多いにもかかわらず根強い人気を誇っている。
- 80年代から90年代初頭にかけては日本のバンドのマネージメントを手がけ、アースシェイカー、アンセム、アウトレイジらが政則氏の事務所に所属していた。
- TBS系列の『ピュア・ロック』というテレビ番組にも、山本隆士氏、和田誠氏、ガスの兄貴らと共にレギュラー出演したこともある。
- アーティストの本音を聞き出すインタビュー術にも定評があり、1990年のローリング・ストーンズ初来日のとき、あのキース・リチャーズから逆指名を受けた。
[編集] 出演番組
- 「POWER ROCK TODAY」(bayfm)
- 「ROCK ON」(FM802)
- 「ロック・ザ・ネイション」
- 「ロック・シティ」
- 「ロッカダム」
[編集] 著書
- 『マイケル・シェンカー―フライングV伝説』
- 『コージー・パウエル―限りなき挑戦』
- 『ヘヴィ・メタルの逆襲』
- 『セーソクの法則』
- 『罪と罰』(オジー・オズボーンの伝記)
- 『断言』
- 『断言』〈其ノ2〉