伊藤信太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
生年月日 | 1953年5月6日 |
出身地 | 宮城県 |
出身大学 | 慶応義塾大学経済学部卒 慶應義塾大学大学院修士課程修了 ハーバード大学大学院修士課程修了 |
前職 | 衆議院議員、衆議院議長秘書 東北福祉大学教授 ニュースキャスター |
役職 | 外務大臣政務官 衆議院外務委員 |
世襲の有無 | 二世 父・伊藤宗一郎 |
選挙区 | 宮城4区 |
当選回数 | 3回 |
所属党派 | 自由民主党(高村派) |
党の役職 | 国家戦略本部事務局次長 副幹事長 |
会館号室 | 衆・第二議員会館215号室 |
ウェブサイト | http://www.ito-sintaro.jp/ |
伊藤 信太郎(いとう しんたろう、昭和28年(1953年)5月6日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。宮城県出身。父は、衆議院議長、防衛庁長官、科学技術庁長官を歴任した伊藤宗一郎。
昭和51年(1976年)慶応義塾大学経済学部経済学科を卒業する。昭和53年(1978年)慶応義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程を修了する。昭和54年(1979年)アメリカン・フィルム・インスティテュート(A.F.I.)の監督課程を修了する。昭和55年(1980年)ハーバード大学大学院修士課程を修了し、マスター・オブ・アーツw:Master of Artsの称号を取得する。
昭和56年(1981年)父・伊藤宗一郎防衛庁長官の秘書官となる。昭和60年(1985年)国際ニュース番組「CNNデイウォッチ」のメインキャスターに起用される。また、昭和63年(1988年)にはファミリーコンピューター用ソフト・「アメリカ大統領選挙」(ヘクト)の監修を務める。平成7年(1995年)玉川大学大学院非常勤講師となり、マスメディア論・国際関係論の講座を持つ。平成8年(1996年)父・伊藤宗一郎衆議院議長の政策担当秘書に就任する。平成11年(1999年)東北福祉大学助教授、平成13年(2001年)同大学教授となる。
平成13年父の死去に伴い、宮城4区衆議院議員補欠選挙が行われることになる。自民党は候補者予備選挙を実施し、前参議院議員だった亀谷博昭に大差をつけて、自民党公認を得、補欠選挙に立候補し当選する。平成17年(2005年)郵政解散前は、郵政民営化に慎重な立場をとっていたが、衆議院本会議での採決では公認を得られなくなることを恐れ、賛成に回る。第44回衆議院議員総選挙では自民党公認を得て三選。第3次小泉改造内閣で外務大臣政務官に就任する。
[編集] 伊藤先生の迷言
「それから自由という点について申し上げれば、大きく分ければ何々「から」の自由と、何々「へ」の自由があると思う。エーリッヒ・フロム(主著「自由からの逃走」)ではないが、多くの国民は自由を求めているようでいながら、実は自由から逃れたいと密かに思っている。この国の国民はこういうふうにものを考えれば幸せになれるんですよということをおおまかな国のなかで規定してほしいというのは、潜在的にマジョリティーの国民が持っている願望ではないか。」 ナチスから追われたフロムが読めば腰を抜かすような内容である。 自由は、ほっておけば簡単にファシズムに転化してしまう弱さがあるので注意しなければならないという内容が、伊藤先生の発言を読む限り、ナチスやヒトラーのような「神(実は国家そのもの。現代では国家権力が神よりも強い)」に国民は「規定」してほしいと思っているといった内容にしか読めない。ファシズムそのものである。